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事務局長のひとこと

山坂達者講座 伊吹山夜間登山編 (令和元年9月)

 今回の山坂達者講座は、伊吹山夜間登山と関が原、醒の井(さめがい)の歴史を探る講座であった。
 この登山は翌日に関が原を訪れること、また、今回はテント泊ではなくほぼ野宿に近い状況で一夜を過ごすため、戦の前夜の侍はどのように夜を過ごしていたのかに思いを馳せた講座であった。
 田舎育ちの私は月明かりのない平地の暗い道は慣れているが、夜の慣れていない山道は経験がなく、慎重に足を進めなければならい。ヘッドライトは点けているがそれでも見通しが悪いので道を見過ごす危険性もある。
 昔は、月明かりや松明の火の明りを頼りにしていたのでもっと見にくい状況であったのであろう。夜営にしても食べるものは、おにぎりがあればいい方であったのかも知れない。また、寝るのも草むらか石まじりの土の上に寝ていたのであろう。
 このような状況には程遠かったが、夜道を歩きテント無しで山の夜を過ごす体験をすることで、便利さに慣れ、色々なことの有難さを忘れがちになってしまっている日々の生活を見直す場となった。
 この夜間登山で経験を活かせたのは、雨への備えであった。夜半から早朝に掛けて突然の豪雨となったがダメージは少なくて済んだ。小さいころから、新聞配達をし、学生時代も新聞奨学生であったので、雨に対しては人一倍気にしているのでその準備が役に立った。ただし、天気予報が大きく崩れる予報でなかったので、その準備を事前にメンバーへ伝えきれなかったのが反省点である。山ではメンバーが一人でも体調を崩すと全員の負荷が増す。大きな過ちであった。

 関が原の探索は、「現地を識る」ことが重要であることを改めて思い知った。それぞれの武将が張った陣へ行き、そこから見える豊臣や徳川の陣を見て、そして合戦の場へ立つと、書籍を読んで思い描いていた場面とまったく違っていた。どこに、どのような目的で陣を張るのか。だれが張るのか。それぞれの陣はどれくらいの離れているのか。その時の人達が敵の陣やみかたの陣から受けている感覚は、地図を見ているだけでは思い至ら無かったことが、肌で感じることが出来た。
 関が原には、もう一つ重要な歴史がある。壬申の乱の激戦地であったことである。不破の道と言われ、後に京と東国の関所の「三関(さんげん)」の一つである「美濃不破の関」もこの地に設営されている。
 このように古代から要衝の地であり、いずれも日本の歴史の中で重要な出来事がこの地で起こっていたことを認識できた。

 関が原を後にし、「記紀」に記されている伊吹山で倒れた日本武尊が毒を洗い流したと伝えられている居醒(いさめ)の清水が湧き出ている醒ヶ井(さめがい)の地を訪れた。米原駅からJRで名古屋方面へ一駅の場所である。中山道の宿場町として栄えていたが、現在は、清水の流れる小川に映える「梅花藻(ばいかも)」で賑わっている。老いも若きもインスタ映えにしか興味がないのか、居醒の清水の近くでは人が少なくなっていた。
 僅か11Km離れた関が原は閑散としていたのとは大違いであったことも気になることである。最近(といっても数十年前ですが)の修学旅行は子供たちに企画をまかせスキーを行うことなどが増え、訪れた場所、その地の人物に由来するものに触れる企画が少なくっていることが「旅」に対する目的に影響しているのであろうか。

 山坂達者講座は、座学だけでなく自然に触れて感性を磨くために始めた講座であるが、今回は、自然だけでなく、歴史に触れて感性を磨く場にもなった。
4月の「国境の島、対馬訪問」は現地を訪れその地や人と触れ実体験する場であった。
今後も色々な感性を磨く場を創って行きたい。

去稚敬天塾 事務局長
吉川貴志

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