学者よ、書物を擲つて山野を掛けよ!
2月、3月講座において、西田幾多郎の「善の研究」「絶対矛盾的自己同一」に学び、新たな気付きがあったことは、当塾にとって誠に意義深いことであります。
西田幾多郎のいう「純粋経験」は、頭で理解し得るものではなく、心身で感得することによって、真に識ることができるものです。
私が登山で体験した一つの貴重な出来事があります。
「八ヶ岳の赤岳頂上で、朝8時頃、富士山と雲海を、何も考えず、ただぼおっと見ていたら、瞬間涙がこぼれた。これが正に純粋経験である。意識はあるが、意識の感覚はない。富士山と雲海に対する意識はあるが、富士山と雲海に対して思惟はない。富士山と雲海でなければ、この様な意識現象は起こらない。意識はあるが、意識をしていない。」
西田幾多郎は、「人間の矛盾」と格闘しつつ、「真の自己」、「人間の真理」を探究した。そこから見えてきたものは、「人の道」である。「哲学のみち」は、「人の道」を学ぶところである。
真の自己を知るためには、自己の良い感性を磨き、発展させることであり、物質に支配されないことである。物質に支配されると、虚栄心が生れ、等身大の自分自身を見ようとせず、虚像を演じることになる。そうなると、虚像と実像の区別がつかず、「真の自己」を全く知ることはできない。
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