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塾長のひとこと

対馬体験行(平成31年4月27日~30日)

―序文―

 今、この島は、日本なのだろうか。 対馬の現状を知るため、この島に来た。

 江戸時代の対馬外交改革論争における雨森芳洲と新井白石の違いは、現場にいて、人と人との生活やそこに吹く風を肌で感じたか否かである。江戸幕府の御用学者たる白石の机上の空論に対して、芳洲は、対馬の生きる道に立って、現実を見据えていた。芳洲に倣って、対馬で生活をすることができない私にとって、可能なことは、3日間対馬の土地を踏み、この島の空気を以て息をすることである。その間、感じたことは、10数年後には、対馬が外国になるという危惧である。宿泊したホテルや夜の居酒屋では、韓国人の群集の中に偶々日本人がいるという有り様であった。

―歴史探訪―

4月28日 活動初日

 歴史は現場に行って、今に蘇り、体得する。書物を読み、講話を聞くだけでは、学問半ばにして不十分である。現地の歴史等に精通した人に案内、説明を受けることができれば、学問は深まる。

 午前中、幸いにして、対馬芳洲会会長小島武博様にご案内頂いた。対馬三聖人の一人雨森芳洲(あめのもりほうしゅう)が祀られている長寿院から始まり、以酊庵(いていあん)が移された西山寺(せいざんじ)、陶山訥庵(すやまとつあん)の顕彰碑、宗家の菩提寺である万松院(ばんしょういん)へと、小島様のご説明により、私の中で、4月講座における歴史上の文字が言葉となって、知ることから識ることへと変わった。しかし、残念ながら、興味深い史跡以酊庵を今に伝える西山寺の拝観は叶わなかった。大勢の韓国人観光客のマナーが受入れ難いものであったことがその理由である。人は群れを成すと、周囲への気遣いが疎かになる傾向がある。西山寺の眼下に、芳洲が尽力した朝鮮通詞養成所があるが、現在、個人居住の民家となっており、中に入ることが出来なかった。ここでも、西山寺の観光事情が影響している。観光と史跡保全を両立させる困難さの一例である。観光客の心得は、足跡を残さず、心の中に感動を持ち帰ることである。

―霊峰登山―

 午後、白嶽(しらたけ)に登る。登山口の第一駐車場から遠く、一際目を引く白い頂は、正に、天に突き出た霊峰である。深い森林の中を上ってゆくと、奥まった処に祠がある。更によじ登ると、道が開け、ロープを伝って上昇する。この先は、急峻な岩場、下山する日本人が8人ほど群れていた。先に降りた者が足元の狭い岩場で、降下中の者に声を掛けながら見ている。上下のルートが一つしかなく、われわれ3人はその場で待機を余儀なくされた。そのとき、声を掛けていた一人が降下中の仲間に制止を求め、写真を撮る。一度ならず、二度三度。この迷惑な動作には、本州の山岳でも閉口するのだが、対馬に来て、直面するとは、実に情けなく思った。この様な節度を弁えぬ身勝手な愚者が霊峰に踏み入ること自体罪悪である。私は、屁っ放り腰の最後の降下者が降りるや否や素早く駆け上がった。その先は、圧巻の光景、山をすっぽり覆う様に天空が拡がっていた。遠くから尖って見えた頂に立っていると、風が実際よりも強く感じられる。お山への畏怖心を実感しつつ下山した。お山が御神体の白嶽、心に残る霊峰であった。

―金田城跡をゆく―

4月29日 活動二日目

 金田城は驚愕の山城、山全体が要塞である。登山開始から最初に目に飛び込んで来た石塁、その傾斜のきつい山の背に造設した当時、防禦が如何に重要だったか物語っている。中大兄皇子率いる倭国軍が白村江の戦に敗れ、唐、新羅からの攻撃に備えたことがひしひしと伝わって来る。城山頂上は、276mとは思えないほど高度感があった。目前の海と断崖絶壁が体感高度を増すのだろう。一ノ城(き)戸(ど)・二ノ城戸・三ノ城戸は、山と海が直結している地形に不可欠な城門で、正に防禦の要であったことが今に甦る。

 当塾で、大化改新の講座を行ったが、白村江の戦後の施策において、対馬の重要性を見落としていた。大宰府は、防人の代名詞と思っていたが、対馬こそ防人の先駆けであることを痛感した。金田城は、正に倭国最前線の国防の要であり、古代国史の生き証人である。防人が見張りをし、居住していた建物跡の敷地は、僅かな面積で、その日々の生活は想像し難いほど厳しいものであっただろう。現在のわが国の平和は、何のためにあるのか、よくよく考えなければならない。平和故に、国民自らの国防意識が薄い様では、将来、この平和が懐かしいと悔やむ時が来る。

―原生林観察―

4月30日 活動三日目

 龍良山(たてらさん)道の原生林を観察する。巨木の圧倒的規模、容姿の溢れる個性、朽ちたかに見える幹から息づく若葉、巨木の根っこから新たな生命が群集となって育成する細木を観察する毎に、自然の豊かさに対する好奇心が増長する。到底目には納まらない迫力と神秘さが森林を覆い尽くしている。見上げるほどに、空間は斑で、心身が自然の中に埋没しているようだ。千木千様、根の張り様、幹の成長の有り様、枝の伸びる方向、葉の付き方、どれをとっても様々である。決して装いを身に纏っている訳ではない。姿、形が異なるのは、成長の過程が異なるからだ。それに比べて、現代人は、姿、形に拘って、肝心の中味が金太郎飴になっており、個性がない。この原生林の木々は、見飽きることがない。原生林に知識を持たない私でさえ、暫く通って観察を続けたいと思う。精通した人の案内、説明を得ることがなかったことは実に残念であった。自然が育んだ木の生き様が生命の尊さ、真の美しさ、強さ、優しさを静かに語っている。強い生命力とは、こんなにも厳かで緩やかなものかと、この原生林に深甚なる敬意を払わざるを得ない。お山に踏み入ると、いつも人間のちっぽけさを痛感するが、この原生林では、人間の存在すら無になってしまう。

―神社参詣―

 活動初日の始まりは、小茂田(こもだ)浜神社の参拝であった。元寇・文永の役で戦った宗資国(そうすけくに)が祀られている。この地に来なければ、元寇による日本の痛手は分からない。対馬は、元寇の激戦地であった。この神社は、その真実を伝えている。

 宿泊のホテル近く、厳原(いずはら)八幡宮神社に参拝。この境内には、キリシタン大名小西行長の娘小西マリアが祀られている。

 活動二日目金田城を後に、和多都美(わたづみ)神社に参拝。韓国人観光客で賑わっていた。海に建立された二柱の鳥居と海岸沿いの鳥居、そして、本殿前の鳥居、この四柱が一直線に並んでいる姿に、古代からの特別な神社であることを思わせる。

 その後、海神(かいじん)神社に参拝。鳥居を潜り、あまた石段を登ると、突然、荘厳な神殿に圧倒される。外交、国防において、海が対馬にとって最重要な自然故、殊に崇敬の念を以て海の守り神を祀るのであろう。仏像の盗難事件は、この神社の蔵から盗まれたのである。

 活動三日目原生林観察の後、再び万松院を訪れ、宗家・歴代対馬藩主のお墓を参った。時代により、お墓の大きさや形状が異なり、時代背景やその当時の宗家繁栄ぶりを今に伝えており、お墓が歴史を物語っている。

―跋文―

 対馬は、日本の不可欠な島である。

 歴史上、古代から現在に至るまで、日本にとって、中国大陸、朝鮮半島は、最も関わりの深い隣国の地である。その隣国と最前線で向き合っているのが対馬であり、この地で起きている現象をわが国民は、如何に捉え、何を為すべきかを自らに問わなければならない。それは、日本及び日本人が直面し、乗り越えなければならない重要な外国人との関わりの問題であり、同時に、如何に日本の伝統、文化、精神を保持し、次世代に繋げて行くかということである。では、対馬の地元の人の考えはどうか。対馬で出会った数人の言葉には、韓国人観光客の好ましからざる所作には不満はあるが、経済効果を考えれば、現状を受け入れざるを得ない本音が見得る。対馬へは、韓国から安価な費用で距離・時間も近く、本州からは、高い費用で距離・時間も遠い地である。(大阪からは、飛行機の直行便はなく、福岡空港で乗り継ぐ。)

 最近、韓国人が対馬において、民泊を営んでいるということを地元の人に聞いた。韓国人にとって、対馬への観光が外国旅行であり続けるならば、国旗が変わることはないが、事実上、韓国の実効支配下になる危険性は否めない。北海道を始め本土が中国に侵食されて行く如く。政治と経済は、表裏一体である。不安定な政治経済では、国防が危うい。政治・外交における反日感情の強い隣国と間近に向合っている対馬の現状をほとんどの日本国民は認識していない。紛れもなく対馬は日本であり、コリアタウンではない。対馬もまた日本であるために、国民一人一人が何を為すべきか、何を為すことができるかを深く考えなければならない。

 「令和」という新しい時代に、願いを託すのではなく、国民自らがより良い時代を築くことを実践しなければならない。自ら変わらなければ何も変わらない。進化しない者は、退廃するだけである。

 当塾は、今後も、日本の伝統・文化・精神を含めた国史を通じて、人の道を求め、進化し続ける者の学び舎・道場として、座学と野学を継続して行く。今回の対馬体験行は、塾にとっても大きな財産と成る。決して、宝の持ち腐れにならぬ様、今後の活動に活かしてゆく。

―追記―

 今回、西日本新聞社対馬通信部記者の平江望様には、対馬芳洲会会長小島武博様を御紹介頂き、さらに同行頂きましたこと感謝申し上げます。小島様には、対馬の深奥なる歴史を御教示頂きましたこと深謝申し上げます。     不尽

                                 塾長 三木一之 

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