新年のご挨拶
新年おめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。
「困るのは君たちだけだ!老人は、無責任に余生を過ごすだけ。大抵の老人は、老害になっていることに気づいていない。」米中露、朝鮮半島等日本を取り巻く各国の状勢は、益々緊迫して来ており、各々国際秩序を乱しても国益を最優先する姿勢、言動を貫かんとしています。問題を先送りし、目先の安住にしがみついているだけでは、近い将来行き詰ってしまうことは明白です。「世界は一家、人類は兄弟」であったとしても、現に戦争は起こり、続いています。国家間の衝突がある以上、国防が重要なのは言うまでもありません。自分の命を些少の納税で守ってもらえると考えるのは横着です。もちろん、納税額の問題ではなく、国民自ら国防を担う必要があるということです。その担うという意味には、「平和ボケ」から脱却することも含まれています。
ところで、駅伝は、実に日本の姿を顕現していると言えます。英訳は「ekiden」、日本固有のものだからです。今年も、箱根駅伝で、指導者(監督)の育成・指導の重要性を感じました。昨年、全日本実業団対抗女子駅伝の予選会で選手が脚を負傷し、最後、両手両膝をつき、流血しながら前進、襷を繋いだ、というレースが話題になりました。賛否両論あり、意見も様々で、何が正しいか否かが問題ではなく、自分なりに考察することが重要です。「進むも勇気、退くも勇気」という捉え方で新渡戸稲造の名言に触れている意見もありますが、それは、筋違いだと思います。私の結論は、「駅伝を走ったものでなければ分からない。駅伝を走ればその気持ちが分かる。」ということです。もちろん、実業団の監督であれば、その立場上、棄権を申出るのは当然でしょう。それは、山崎闇斎や藤田幽谷の「名分論」から容易に理解することができます。お祭りの様な市民の駅伝でさえ、私は、軽い脱水症状から、陸橋の鉄柵に身体をぶつけながら走り、襷を繋ぎました。その時の心境は、少しでも速く襷を繋ぐ、ただそれだけです。ましてや実業団の全国大会ともなれば言わずもがなです。その選手には、悲壮感はなく、襷を繋ぐ憶いがあるだけです。走り終えた後、考えることはありますが、身体の痛みより安堵感で満たされているはずです。何故、日本で駅伝が生れ、今尚、人々の心を引き付けるのか。そこに、日本及び日本人の特質があると断ずることができます。「過保護な現在の日本のままで、困るのは君たちだけだ!」
一月三日、JR北小松駅からJR比良駅へと単独雪山登山をしました。スノーシューでラッセル、雪が深く、横殴りの風雪、ヤケオ山への急登では、厳しく感じ、この日は、愉しむというより修行でした。いつも心掛けていることは、「世の中を舐めても痛い目に合うだけ。山を舐めたら死ぬ。」ということです。
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