時代と存在
昭和31年、年次経済報告(経済白書)に、経済的な意味において、「もはや『戦後』ではない。」と発表された。私は、この年に生まれ、陽光と上昇気流が交錯する社会の中で子供時代を過ごした。もし、30年早く生まれていたら、きっと靖國に眠っていることだろう。私の中には、悠久の歴史において存在した生命が宿っている。一つの時代を切り取ることも、それぞれの時代を切り離すこともできない。ましてや、或る時代及びその時代を生きた人の命を否定することはできない。靖國の英霊もまた自分の中にある。そして、継はぎだらけの得体の知れない国の中で生きるために、自分が存在するのではない。
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