歴史を人生に取り込む思考のすすめ
歴史は何故必要か。歴史を学ぶ意義は何か。
(1)失敗に学ぶ。
歴史は、先達の失敗の記録です。成功は、成功者の素質、運、環境等の特質に起因します。成功者と同じことをしても成功しません。
一方、失敗には、人に共通した要因が存在します。例えば、「驕り」や「油断」。失敗の多くは、その者の特質ではなく、一般的なものに起因します。失敗から学ぶ。学ぶは「まねる」が源と言われます。失敗を「まねる」と失敗します。だから失敗しないよう学ぶのです。
「歴史は勝者の歴史だから真実と異なる。」と言って、歴史に学ばないのは、大きな損失です。勝者は、己の失敗を隠し、成功を過大に表現するとともに、敗者の失敗を強調します。失敗の歴史こそ、後世の者にとっては、大いなる財産であり、歴史に学ばないから、同じ過ちを繰り返します。最近、近隣諸国で盛んに「歴史認識」を言われますが、これは、「歴史」を対外国政策の道具として使用していることが明白です。「この歴史認識」という「まやかし」に、わが国民は騙されてはなりません。そもそも「道具」であるから議論に値しません。
「歴史に学ぶ」ということは、「歴史上の人物に学ぶ」ということであり、当然、そこには時代背景があります。その時代の環境によって歴史上の人物が誕生します。それゆえ、時代背景を理解しなければなりません。
とは言え、大抵の人は、学者ではなく、評論家でもなく、思想家でもない。研究に没頭し、日々、様々な思考を巡らせている訳ではなく、物事に対して、深く向き合い、沈思黙考することは少ないでしょう。時として、悩み苦しみもがくことはありますが、それは、自分自身に内在する嫌悪感や不安から逃れようとして発熱するのです。この発熱するエネルギーとそれに費やす時間を「時代背景の理解」に充てれば良いのです。早い話が、悩んだときは、「歴史に学べ」ということです。
(2)心の響きを高める。
前述した「失敗に学ぶ」以外に「歴史を学ぶ」大切な意義があります。
歴史上の人物の内面に触れることです。歴史上の人物の一生は、決して、華やかで羨む人生ではなく、苦悩の連続です。映画では、容姿端麗の役者が登場し、格好良く描かれていますが、実際は、泥臭く地べたを這って生きたのです。そして、その主人公を命懸けで支えた人がいます。筆者は、見た目の格好良さよりも、そんな直向(ひたむき)な姿が美しいと思います。
「年を取ると涙脆くなる」と言いますが、辛く、悲しい経験をしているうちに感受性が豊かになっていくからでしょう。正に、人間は、「四苦八苦」から逃れることは出来ません。身を持ってそのことを知ってゆきます。
歴史上の人物の内面に触れるとき、感受性の豊かさが発揮され、心の優しさが全身を覆い尽し、ときには、涙が溢れ出します。そこには、苦しみや悲しみよりも、心に響く感動があります。この涙は、人目を憚る必要のない涙であり、心の響きが顕現されたものです。これこそ正に、人が人たる所以であって、人間であることの幸せを実感しているのです。「歴史を人生に活かす」と言わず、敢えて「歴史を人生に取り込む」と言ったのは、この心の響きを高めるからです。
(3)時代を担う。
私たちが生きている時代もまた、後世において「歴史」になります。当然、時は連続しており、過去の「あの時代」と現在の「この時代」とは、切断されているのではなく、繋がっています。ただ、光がガラスを通して屈折する如く、時代が大きく変化することはありますが、それは、時代がもたらした産物であって、今の時代は、歴史上の時代の延長です。とりわけ、この時代の変化に着目すると、「学びの宝庫」が見えて来ます。
今年で、大東亜戦争終戦後74年になります。その戦争より約100年溯ると、幕末日本に黒船が来て、時代を一変させます。今の平和な時代があるのは、その江戸幕末、明治、大正、昭和の激動の時代を経て来たからです。
そして、私たちも「堂々たる時代」を継いで行くため、今正に、時代を担っていることをはっきりと意識し、「歴史の時代」に学ぶのです。
(4)気付きの学問
この塾で行う学問は、「気付き学」です。生命の長短ではなく、「人生を如何に深く生きるか、どれだけ人生を大切に生きるか」が重要です。知識を得ることが目的ではありません。知識は、「気付く」ための手段です。知識を集めるのは、切手の収集と同様趣味です。学問によって、様々なことに気付く。そして、経験(実践)によって、気付いたことが鮮明になり、自分自身に構築され、人格が形成されてゆきます。人格の完成に向けて、死ぬまで継続されるのです。人格は、動物における人間の特質です。
私たちは、屡自分にとって都合の良い知識を集めて来ます。その知識からは、「気付き」はありません。それは、自己弁護のための知識であり、人格形成とは無縁です。
この塾では、歴史を学ぶに当って、文字を追いかけるのではなく、答えを見つける必要はありません。「正しい人生はこれだ」という答えはないのですから。
「気付く」ということは、感覚です。それぞれ個人が持っている感性が大きく作用します。心の響きを高めることによって、感性が豊かになり、「気付く」ための感覚も鋭くなります。
以上のことを念頭に置いて、この塾に興味を持って頂いた皆様とともに、活き活きとした学問を愉しみながら、人物を通して、歴史を人生に取り込んでゆきます。
塾長三木一之
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