11月講座(於:岡山)終了の御礼
初めての出張講座、岡山在住の方もご参加頂き、実りある講座となりましたこと御礼申し上げます。
午前中、野中四郎大尉のお墓参りをした際、周囲の雑草に寂寥感を覚えました。とは言え、月日が流れてもそこには、確かに心魂が宿っています。
午後「晴れの国岡山」で「二・二六事件」をテーマに講座を行いました。
二・二六事件とは何であったのか?二・二六事件には、私たちの身近に起こり、経験し得ることが幾つも含まれている。この事件の根底にある人間の性は変わらない。対立、勢力争い、保身、不平不満、私利私欲、物質に支配される体質、様々な事が交錯し、擦れ違う複雑な人間社会にあって、現実を直視したとき、二・二六事件は、私たちと無関係ではないことに気づく。3時間では、到底この事件の意義を探求することはできない。蹶起青年将校の純粋な心は、幕末の志士の至誠に通ずる。お金で人を動かすことはできるが、真に人の心を動かすのは、至誠である。戦国の世に、至誠を顕現した石田三成と大谷吉継、そして、幕末を駆け抜けた、生き様そのものが至誠であった吉田松陰、橋本佐内、梅田雲浜の真意と行動は、蹶起青年将校を魅了して止まなかったであろう。
心に響かぬ学問は学問に非ず。
講座終了後、食事会にて、参加者の交流を深めた。いつものことながら、美味しい料理とお酒を味わいながら、講座の延長として新鮮な学問を愉しんだ。この時代に生きていることに感謝しつつ。
翌日の日曜日は、犬養木堂、山田方谷を尋ねた。犬養木堂記念館では、犬養毅の味のある肉声を聞くことで、その容姿が生き返った様に思えた。五・一五事件によって、その偉人の存在は失われたが、犬養木堂の足跡は、今尚色褪せてはいない。この記念館で購入した書物「木堂逸話」に、犬養毅の生き様を垣間見ることが出来、益々犬養毅を識りたくなった。同じく「木堂談叢」の中に、「福沢先生研究会」における講演が収録されており、犬養木堂による福澤諭吉の行動分析が実に奥深く感じられる。幾多の苦難を乗り越えて来た人物の心眼は、表面には顕れない真の意味を浮き上がらすことが出来るのであろう。只管、憧憬の念を抱く。
動の犬養木堂とは対照的な静の山田方谷は、「至誠惻怛(そくだつ)」を重んじた儒学者であった。方谷の書にもその精神が現れており、実に優美である。山田方谷に対する地元の人の尊敬の念や誇りが、資料館、記念館、方谷園に満ち溢れていた。
尚、岡山県護国神社、吉備津神社、和気神社(和気清麻呂公)を参詣して、日本国の平和に感謝した。
去稚敬天塾々長 三木一之
この記事へのコメントはありません。