八ヶ岳紀行
10年ぶりの八ヶ岳、大阪市で生まれ育った私にとって、八ヶ岳は故郷と言える。38年前、赤岳頂上小屋でアルバイトをしたことは、今尚色褪せることはない。登山道は整備され、色鮮やかなテントの数は激増しているが、山は不易である。
大阪から夜行バスで美濃戸口に朝7時過ぎ到着、南沢を登り、行者小屋のテント場で寝床を確保した。小屋の前から間近に見える稜線、天に突き出した岩が懐かしい。
サブザックを背に阿弥陀岳を緊張感とともに登る。視界も良く、頂上から見た赤岳は一際どっしりとした存在感を放っていた。下りの緊張感が睡眠不足による眠気を取り払ってくれる。その延長にある中岳の頂上を踏むのは、御小屋尾根から赤岳を目指した時以来である。
翌日、テントを撤収し、文三郎尾根を登り、赤岳の頂上に立つ。視界はまずまず、頂上小屋の前に来ると、38年前の65日間がすぐさま蘇る。想い出に浸りながら暫し休憩して、一路横岳、硫黄岳へと縦走する。
硫黄岳山荘の手前にコマクサの群集がある。驚いたことに、真っ白なコマクサが目に入った(通常、コマクサはピンク色)。左右にコマクサを観察していると雲行きが怪しくなって来たので、足早に硫黄岳頂上へと向かった。その先は、夏沢峠から二日目のテント場本沢温泉へと下る。
ここでのお目当ては、野天風呂である。記憶では、温泉の温度が頗る高く、10分もしないうちに茹で上がってしまうのだが、ぬるめの湯になっていた。長野県上田市から来たという青年2人と縁を頂き、風呂上がりの会話を生ビールとの相乗効果により愉しむことができた。上田城と聞くだけで、何処の場所か分かるのだから、大河ドラマ真田丸の効果は絶大である。単独行や少人数の場合の妙味の一つに、見知らぬ人と縁を得ることがある。
三日目、稜線までの登りで、ザックがずっしりと身体全体に圧し掛かる。こんなにも筋力が落ちるとは、愕然とした。
北八ヶ岳の名峰天狗岳で、上田市の青年と再会、温かい紅茶を貰う。私は、彼らとは反対方向へと下山、高見石小屋を目指す。小屋の傍に、岩石を乱雑に積み重ねたような展望台があり、お気に入りの場所で暫し寛ぐ。
そして、今回の締め括りは、渋御殿湯の温泉に浸かることである。東館西館2つのお風呂巡りを愉しみ、部屋で少し休憩した後、JR茅野駅へと路線バスに乗り込んだ。
今回も「一期一会」を痛感する山登りであった。新たな人とのご縁、命を繋ぐ梯子・鎖・登山道の整備に関わる人々の尽力、あらゆるものを包み込む尊崇なお山に只管感謝する。
夏山に会話弾ませ白雲に今昔不易欣喜雀躍
学は岳なり (後漢・徐幹・中論・治学に「学者如登山焉」とある。)
(平成29年7月三連休)
「雨も風も」
八ヶ岳 夕焼け雲に ほんのり顔を赤らめて おれたちみんなの心を和ませる
それでも一日たったら 真っ白で何も見えない
雨は降るだけ降るし 風も吹くだけ吹く
人のことなど 知ったこっちゃない (平成11年8月20日仁平 作)
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