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【第8回山坂達者講座】~伊吹山~ 令和元年8月24日25日

令和2回目の山坂達者講座は、百名山の1つとして有名な滋賀県の伊吹山に赴いた。
今回は、夜に登り始める夜間登山。夜から山に登るのは初めての経験だった。

富士山ほど人で溢れかえっているわけではないので、自然の暗さが山を覆っていた。ヘッドライトがなければ目隠しをしているように視界は暗くなり、とても危険だ。また、何合目の標識があり、夜間登山者が多いためか、ライトが照らされると看板が反射して光るようになっていた。6合目辺りまでは登りやすい道が続き、そこから頂上までは岩場が続いた。富士山の道と少し似ていると思った。
伊吹山は、石田三成が関ヶ原の戦いで敗れ、撤退した山としても有名だ。その時の石田三成は命を惜しんで逃げていたわけではなく、次こそは家康の首を取るために今は耐え忍んで勝機を得ようとした決死の撤退であった。もちろん当時はライトなんて便利なものはなく、整備もされていない暗い山道をずっしり重たい甲冑を着て登る。石田三成に少しでも近い心境に立ち山に登り、自身の中で問答を行う。書物だけでは石田三成の心境を真に学ぶことはできない。

頂上に到着した頃には夜の10時を過ぎていたため、食事の用意をはじめた。汗をかいて登った後の酎ハイとおつまみは美味である。食事が終わった後、寝床を用意して就寝したのだが、朝4時頃、突然のゲリラ豪雨により飛び起きた。数秒で川に飛び込んだように濡れるほど激しい雨だったため、屋根がある場所に避難した。避難したあとの安堵感は大きく、雨を凌げる場所がどれほど快適なものなのかを身をもって実感した。屋根がある家で睡眠をとれるだけでも贅沢であるのにも関わらず、人は欲望のままにさらなる贅沢を求める。普段の生活を見つめ直すこともまた、大切な学問であると思った。

早朝、雨が止んでから下山をして、関ヶ原に向かった。
関ヶ原は、巡る場所の範囲が広く、徒歩では大変だったため電動自転車を借りて出陣した。
各々の陣は、森や林の中にあったが、周りの状況を把握できないため恐らく当時はなかったものだと思う。徳川の本陣は、撤退しやすい場所に置かれていたが、吉川、安国寺、毛利が動いていれば、合戦の勝敗もまた変わっていただろうと、石田三成の陣から関ヶ原を見渡して考えていた。

関ヶ原の後は、醒ヶ井に向かった。
醒ヶ井の地蔵川は、日本武尊が伊吹山で負った毒を直した清水として有名だ。
散策していると、雨森芳洲の和歌が書かれた看板が立っていた。雨森芳洲は、対馬で活躍した儒学者であるが、講座で雨森芳洲のことを学んでいなければ、誰なのかも分からずに素通りしてしまっていただろう。

突然の豪雨に見舞われ、普段より過酷な山坂達者講座となったが、そのおかげで多くのことを学ぶことができた。現地に訪れることで分かることがあり、現地で学び座学で深める部分もある。

塾生
樋浦 優人

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