地域猫と向き合う
地域猫は、地域の人々の猫に対する理解と猫の生活を支援するボランティアの人々によって、生きることが出来る。全ての人が猫好きとは限らない。私は、地域猫が好きである。野良猫の性質を持ち続けているところが良い。ご飯を提供しても、懐かず、食後はさっさと定位置に戻って、毛繕いをして、素知らぬ顔でいる。猫によっては、「お前誰や!」といった目でこちらの顔を観る。自分に正直に生きている姿が頗る興味深い。人間の我儘とは違う。猫の表情は、多彩である。また、その身体能力は、アスリートの及ぶところではない。頭脳は、極めて高く、その行動から、人の言葉を理解していると考えられる。猫には、福を齎す招き猫が存在する。神社に参詣しても、猫を粗末にすると、福が遠ざかる。
筆者がよく行く神社では、祠の屋根に、時折猫が座っている。勿論追い払う者はいない。この神社を住いとしている地域猫がいるからである。野良猫の寿命は極めて短い(3年から5年)。毎日食事にありつくことは至難の業であり、食べることが生きることであり、厳しい天候に耐えなければならず、怪我や病気に対して、治療する術を持たない。それが自然だと言えばそうだが、車や構造物等の人工物によって、猫の平和が脅かされていることは否めない。「人間が生物界の支配者」と考えている者は、実に愚かである。筆者は、「人間は、この世で最も愚かな動物である。」と言い続けている。
ところで、最近、筆者は、地域猫の写真をよく撮る。特に、興味深い猫には、勝手に名前を付けて、「しまちゃん」と言ったり、その写真をA4版にプリントして、自宅に飾っている。この数か月で、距離が縮まり、かなりアップで撮ることも可能になってきたが、こちらから接触はしない。今は、それが地域猫に対する礼儀だと考えている。猫に興味を持ったきっかけは、「岩合光昭の世界ネコ歩き」の番組を見たことである。子どもの頃、黒猫を飼っていたこともあり、元々猫が好きであった。その番組から猫との向き合い方を学んだことは確かである。猫が何を考えているのか、猫の気持ちはどうなのか。それは分からない。基本的には、ご飯を求めており、それ以外は、立ち入るなということと理解している。筆者が猫用おやつ(総合栄養食品)や猫用牛乳を提供するのは、写真撮影のお礼である。食事に関しては、ボランティアの方の邪魔をしない。それらは、持参のお皿に入れて、飲食してもらう。当然、後始末は、念入りに行い、残った牛乳は持ち帰って処分する。後始末を疎かにすると、猫に迷惑が掛かる。地域を汚さないことは、地域猫と向き合うための基本である。「元気な姿を有難う!」
文責:塾長 三木一之