自己の矛盾

 西田幾多郎は、自己の矛盾と闘い続けることで真の哲学を解明しようとした。その在り様(よう)を矛盾的自己同一と表現した。人がこの世に生れ出た瞬間から三つの矛盾と関わる宿命にある。何故なら、人間は矛盾の動物だからである。他の動物には矛盾は存在しない。矛盾という観念は、人間が考え出したものである。三つとは、人間の矛盾、社会の矛盾、自己の矛盾である。
 西田幾多郎は、自己の矛盾と闘い、矛盾は矛盾として、その存在を認識しつつ、自己を否定することによって、自覚を導き出そうとした。その前段階には自己批判がある。西田の言う自覚は、世間一般で言うところの浅薄なものではない。自覚が足りない、というような簡略化したものではない。自己の矛盾と生死を掛けた激闘の末、目覚めるものである。それを自己否定によって実践しようとした。しかし、この世に生存する万物が自己の存在をも否定することはできない。自己自身を否定するということは、死に直結する。そうかと言って、自殺は、自己否定ではない。自殺は、自己を肯定し、他を否定することから生ずる。
 自覚とは、自己の矛盾に己を置き、四方八方から攻撃して来る矛盾と闘い続けることで体得することができる生きた学問であり、人として生きる重要な根本である。
 西田幾多郎の論文が難解なのは、自己の矛盾と闘っている軌跡を繰り返しているからである。自己の矛盾は、一般論ではない。自己の矛盾を論理的に解説しても全く意味がない。自己の矛盾と闘うこと、その実践に意義ある。勿論、西田幾多郎は哲学者だから、自己の個人的なことに言及しているのではない。矛盾的自己同一の自己とは、個人的な自分自身を言うのではなく、抽象的な自己、万物に対する自己を言っている。
 ところで、人は、本当に自己否定できるだろうか。自己の考え、自己の生きざま、自己の言動を否定できるだろうか。自己反省さえも、自己を肯定することから離れることはできない。孔子が曽参に、「自ら反みて縮(なお)からずんば褐寛博(かっかんぱく)と雖も吾往かざらん。自ら反みて縮くんば千万人と雖も吾往かん。」(孟子 公孫丑)と言ったが、これ程迄の覚悟を以て、自己と向き合うことができる者は見当たらない。
 自己の矛盾と闘うということは、自己の矛盾を解消するということではない。解消できるならば、それは矛盾ではない。それならば、自己の矛盾と闘うことに何の意味があるというのか。自己の矛盾を識らざれば、真の自己を識ることができず、仮想の自己として生き、自覚もない。これは、決して仏教的思惟を述べているのではない。悟りに結び付けるものでもない。
 自己の矛盾は、様々な場面で顕在化している。「人の振り見て我が振り直せ。」とは、自己の矛盾の探究の顕れの一つでもある。自分の正義感が他者にとっては、不正義なものと映ることもある。これは、相対的な善悪を言うのではない。自己に内在する善悪がせめぎ合うとき矛盾が顕在化するのである。
 若いときは、幸せとは何だろう。生きるとは如何いうことだろう。と思考することがある。これらの人間の真理を求めることは、自覚失くして到達し得ない。すなわち、自己の矛盾を探求する以外にない。
 若者は、老人の鏡。身勝手な若者は、身勝手な老人の鏡。横着な若者は、横着な老人の鏡。譲らない若者は、譲らない老人の鏡。礼儀正しい若者は、礼節を弁えた老人の鏡。親切な若者は、親切な老人の鏡。無知の知を知る若者は、無知の知を識る老人の鏡。礼節を知り、栄辱を知る老人のみが存在すれば、この世の大半が無駄なものとなり、負の連鎖は治まる。しかし、現実は、そうはならない。負のみを取り去ることは出来ない。人間は、自らを負と判断できないからである。これは、社会の矛盾でもあり、人間の矛盾でもある。
 何故、人は自分に対してストレートに生きることができないのだろうか。自己を偽ることなく、自己に正直に生きることは、人間社会では衝突が多発し、精神的かつ物理的に損失するものが多過ぎるからであろう。
 人間が肉体において生きるためには、衣食住が必要である。たとえそのいずれもが粗末なものであっても不可欠である。古代中国において、孔子が最も親愛した弟子の顔回は、早逝したが、その生き様は、自己に対して、完全無欠なまでに正直であった。正に純一無雑である。それは、人の道を求める理想の姿であった。顔回の様な生き方は誰にもできない。
 人は、他者に優しさを求める。そのためには、自己を偽る。演じると言っても良いだろう。そこには、自己の欲求を満たす意図が存在する。
 学問をしていると、ふと、自己の矛盾と闘っていることに気付くことがある。これが矛盾だというものはない。矛盾とはこういうものだというものでもない。これも矛盾。矛盾は目に見えない。西田幾多郎は、学問をすることによって、自己の矛盾と闘い、真理を求め、真の哲学を探求したのであろう。