紀南川遊びに参加して

 

 自分がなぜ学問するのか、仕事・プライベート・親族を含め普段のいろいろな出会いの中で起こる苦手なタイプの人との対峙、それに対し潰れずに自分らしさを失わず、自分の居場所を作れる人間力を養う。そのために一日をいかに充実して過ごすか、これが去稚敬天塾との出会いであったしその一瞬を大切にして生きることを勉強させられた旅だったと思います。
 7月は仕事・プライベートそれぞれに忙しく、ネット内で旋風を起こしている参政党の演説に何か知らない希望に似た喜びを感じ、突然起きた安倍さんの死の衝撃に心が整理できない焦燥感と他人事で心から悔しいと感じた参院選。
 楽しみにしていた塾の紀伊半島旅行の下調べもできなかったことが設定してくれた人方々に対して申し訳なく、結局旅の準備を15日夜に慌てて行った顛末を反省しています。
 7月16日、岡山6時23分の新幹線に乗り、新大阪で三木塾長と待ち合わせて楽しみにしていた和歌山~三重をまたぐ紀南の旅に参加しました。
 阪和線和泉砂川駅はあいにく雨でしたが車の中から見える景色が新鮮で、なんとなく一人口重くして塾長と吉川さんの話を聞いていました。
 途中道の駅で軽い昼食を取り、一枚岩の川遊び、紀州の名湯「きよもん湯」に立ち寄り、雨の中、カステラ鈴焼きのお店「香梅堂」の看板が見えた時は知らない土地とはいえ店のたたずまいが何か懐かしい気持ちになりました。
 熊野速玉大社に参拝して、三重県尾鷲南九鬼町の古民家に宿泊、塾での旅行はあいにくここまでで、翌日は古くからの先輩の送別会参加のため、早朝JR東海尾鷲駅まで車で送ってもらい津駅・近鉄経由で大阪まで移動しました。
 今思えば慌しい旅行ではありましたが、去稚敬天塾でしか味わえない旅ではなかったかと思います。
 帰宅してポストを除くと毎月購読している致知8月号が届いていたので手に取り、夜寝る前に軽くページをめくって読んでいる内に松尾芭蕉の歩いた道の項の「古池や蛙飛こむ水のをと」の句が目に留まりました。
 この句は自然界の静寂を詠んだものと何かの勉強会で認識していましたが、私たちの貴重な人生を生きて、色々な活動や楽しいひと時は永遠の時間から見ると「蛙飛び込む水のをと」のポチャンに過ぎないと表現した文章にはっとしました。
 川遊び、流れの表面は穏やかに見えて、水の中は流れが強く小学校3年ぐらいまでは夏休みには母の田舎の川で泳いでいたあの頃の思い出、結構危ない遊びだなと思いながら必死でバランスを崩さないよう塾長、吉川さんの背中を見ながら一歩ずつ移動しました。
 その時に突然みせた塾長の行動は自然にやったのかできたのかわかりませんが、小雨の降る中体を沈め泳ぎだし、笑いながら吉川さんと騒いでいる姿に、なぜか私も必死で体を沈め、冷たい感触に耐えて泳いでいく中、急に腹からおかしくなり笑ってしまい気持ちがぶっ飛んでしまいました。
 よくわかりませんが、川遊びで体の力が抜け、きよもん湯で疲れを取り、老舗の鈴焼きを買い、雨の熊野速玉大社参拝・・・。この過程をもう一度経験したくてもできないその一瞬を過ごさせていただいた今回の旅は自分の歳、あの頃を振り返る起点軸になったような気がします。
                               文責:去稚敬天塾 塾生高山修平