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自然に学ぶ

自然に学ぶ

透明の青い海に学ぶ

令和六年 八月十七・十八日 去稚敬天塾の夏季合宿は、福井県敦賀の水島へと赴いた。
二日間、敦賀に学び、水島の透明の青い海に学んだ記録を記す。

【夏季合宿】敦賀水島海水浴と市内観光 (行程実績)

(1日目の天候が台風の影響で不良であった為、当初予定の1日目と2日目を入替)

1日目 令和6年8月17日(土) (天気:曇り時々雨)
 ・新大阪(7時49発:JR京都線新快速)→敦賀(9時54分着)
 ・ニッポンレンタカー敦賀駅前店で車をレンタルし敦賀市内を観光
 ・観光地:気比神宮、敦賀赤レンガ、金ケ崎城跡、武田耕雲斎等墓
 ・プールと温泉:敦賀きらめき温泉 リラ・ポート
 ・夜食の食材購入:アル・プラザ敦賀
 ・宿泊:海辺の宿 ひがし

2日目 令和6年8月18日(日)(天気:晴れ時々曇り)
 ・海辺の宿 ひがし出発(8時15分)→色が浜乗船上で渡し舟に乗船→水島到着(9時) 水島で渡し舟に乗船(14時)→色が浜駐車場→敦賀駅前到着、レンタカー返却(15時)→ JR敦賀駅(15時20分発: JR京都線新快速)→新大阪駅(17時22分着)

塾長の記録

今年は、福井のハワイと言われる敦賀湾に浮かぶ無人島の水島で山坂達者講座を行い、鍛錬した。初日悪天候のため、水島行は、2日目に予定変更し、初日は、武田耕雲斎の墓を訪れ、敦賀赤レンガ倉庫を見学した。
武田耕雲斎の人物については、すっかり記憶から遠ざかっていたので、後期水戸学の講義を思い出しながら水戸藩士、天狗党の首領のお墓に手を合わせた。
そして、敦賀赤レンガ倉庫では、ジオラマとブリキのおもちゃが昭和の古き良き時代を思い起こさせて、懐かしい気分に浸ることができた。
「世の中を舐めても痛い目に合うだけ、山を舐めたら死ぬ。」と、私の口癖。海も山と同じ。海に対する畏怖心を忘れてはいけない。海パンと水中ゴーグルだけで、海に向う。絶対的な身の安全は存在しない。極力リスクを減らすことが重要。直接自然に接するのであるから、身の危険を悉(ことごと)く回避することはできない。身体全体で海水の温度を感じ、流れを識(し)る。浜の近くでは、海の生命力と対峙することはない。
海辺の宿で、一泊し、早朝、本題の水島へと向かった。色ヶ浜から渡し舟に乗り、夏季だけは、多くの人で賑わうが、お盆も過ぎて、海水浴客で混雑することはなかった。透き通った海水に身を揺らしながら泳ぐ魚が何とも心地良さそうである。この海の美しさをありのまま表現する言葉を私は有(も)っていない。ただ、身体が最高の喜びを感じるだけ。これ以上求めるものはない。トータル約3km泳いだことがその証しである。
海の青さが空の青さによって変わる。荀子(古代中国戦国時代末期の思想家、現実主義・唯物主義、九十歳余りの長命)は、藍の青さによって、人が生きるうえで学問の重要性を説いた。「青は之を藍より取りて、藍より青く」(青色は、藍の草から取り出すが藍色よりも一層青く)「優れた人になろうと努力する人は、博(ひろ)く学を身につけ、同時に日々常時、己が行為の動機と結果、目標と方法を見比べ照らし合わせることによって、自然に智慧(ちえ)もはっきりとついて来るし、行動にも過ちがなくなるであろう。」(新釈漢文大系・荀子上・勧学篇)偉大なる海は、太陽の光とともに天空の青によって、更に輝きを増す。心身で学び、理は後から出ずるもの。そして、進化するもの。美しい海ゆえに体得することができる学びである。

水島の海に泳ぎて天仰ぎここに辿りしわれ生くる道

三木一之

局長の記録

今年の夏季合宿は北陸のハワイと言われている福井県敦賀市の水島での海水浴と敦賀市内観光とした。
日本海の夏の海は綺麗であると聞いていたがこの島の海の透明度、白い砂浜とも、その名の通りであった。この夏初めての本格的な海での泳ぎを綺麗な海で泳げて幸せな時間を過ごせた。プールと違い自然のなかで泳ぐのは格別であるが、自然であるがために危険も伴うことを心掛けて楽しんだ。山登りにも通ずることである。海水浴場では安全な場所と危険な場所を区切ったブイを設置していたが、それにも関わらず、無視して泳いでいる人がいる。あまりに平和過ぎて、危機感の薄い人、無い人が多い。近年日本海側の海水浴場にイルカが現れ、イルカと接触し怪我をしている人がいる。海水浴場では、イルカを見たらすぐに海から出るように注意を行っていたが多分守っていないのであろう。専門家の話は、「イルカは遊ぶのが好きで好奇心旺盛な動物です。人間に興味を持っていて、遊んでいる可能性が高い。但しイルカ同士で遊ぶ時の、「甘噛み」は人間に対しては凶器で、鋭い歯で嚙まれると当然怪我をします。」とのこと。相手(自然、動物)を知らなければ怪我をするのは当然のことである。
敦賀観光は「気比神宮」「敦賀赤レンガ」「武田耕雲斎等墓」「金ケ崎城跡」を訪れた。その内の「武田耕雲斎等墓」「金ケ崎城跡」についてふれたい。
「武田耕雲斎等墓」は、夏季合宿でこの地に来なければ知ることが無かったであろう。尊皇攘夷を掲げて結成した天狗党が茨城県の水戸から京都にいた徳川慶喜(水戸藩藩主徳川斉昭の子)を新たな水戸藩主に据えることを直訴すべく、天狗党の首領であった武田耕雲斎が総勢800から1,000名で水戸から京を目指し上洛を行ったが敦賀で幕府軍(皮肉にも総大将は慶喜であった)の追討を受け降伏。その後、武田耕雲斎と353名が斬首され埋葬されたのがこの墳墓の地である。数年前に塾で訪れた水戸の回天神社で見た烈士の墓石の風景と重なった。武田耕雲斎は「咲く梅の花ははかなく散るとても 香りは君が袖にうつらん」の辞世の句を詠んでいるが、水戸にいる武田耕雲斎の妻子、孫を含め多くが斬首されている。明治維新はこのような人達の死も礎となっていることを忘れてはならない。金ケ崎城(現在城跡のみ)は海沿いの小山に築かれた山城で、規模は違うが岐阜長良川沿いの金華山に築かれた岐阜城を想像した。この城にまつわる出来事で、織田信長が城を攻めた際に浅井長政等に挟撃され敗走した。この殿(しんがり)を秀吉が見事にやり遂げている。この話は知っていたが敦賀での出来事だと今回初めて知った。

敦賀の町を見て最初の印象は「狭い」であった。敦賀湾と三方は山々に囲まれた狭い平地である。この地を戦国武将達が奪い合ったのはなぜか。それは、大陸に繋がる海路として、日本海に通じる若狭湾内に敦賀湾はあり、波の静かな良港である。陸路は越前から京への入口となるなど北の玄関口として地理的条件が整っていることが要因であると訪れて理解できた。

夏季合宿の2日間は、水島で日本の自然に触れ存分に体を動かし、敦賀の街の歴史の一端を机上で知識を得て、現地に赴き肌で感じる充実した時間を過ごせた。

吉川貴志

塾生の記録

去稚敬天塾2024年の夏季合宿は、福島県の敦賀に赴いた。特に敦賀にある水島という場所は、日本のハワイと言われるくらいの場所であるから、とても楽しみであった。

敦賀は新大阪から電車で乗り換えなしで2時間ほどで来ることができる。とても便が良く、綺麗な海が見たいとわざわざ沖縄に足を運ぶのであれば、敦賀に行くのもオススメ。
台風も来ていたので心配していたが、電車が止まるということはなく、無事に敦賀に到着することができた。敦賀駅はとても綺麗に改装されていて、観光客で賑わっていた。

到着後もあまり天気が良くはなかったので、予定を変更して、2日目に観光する予定だった気比神宮、赤レンガ倉庫、金ヶ崎城址、武田耕雲斎の墓、リラ・ポートへと向かった。

[氣比神宮]
気比神宮は神宮という名前がついていることから、社格の高い神社だ。パワースポットとしても有名らしく、境内は綺麗に管理されていた。参拝をしていると外国人の姿を目にしたが、他の観光地に比べると、少ないようにも感じた。外国人からすると福井の敦賀は知る人ぞ知る穴場スポットなのだろう。この時、じゃぶじゃぶと雨が降り出したが、雨が振っている神社というのは普段より神聖さを感じる。

[赤レンガ倉庫]
赤レンガ倉庫というと東京や北海道が有名だが、海外と交易をしていた港には、赤レンガ倉庫があるようだ。赤レンガ倉庫の中には倉庫を改造して作られたジオラマ館があり、昭和時代の敦賀の街並みを見ることができた。また、ジオラマを使った上映会が定期的に行われていて、当時の敦賀のことを知ることができた。赤レンガ倉庫内には、ごはん屋さんやお土産屋さんもあり、子供も大人も楽しめる、そんな観光スポットであった。

[金ヶ崎城址]
「金ヶ崎の退き口」としても有名で織田信長が攻め落とせなかった城である。実際に足を運んでみると、後ろは断崖絶壁、前は山の急勾配、攻めると上から狙い撃ちされる。とても攻めにくい地形となっていた。こんな場所に城を作る当時の人もすごいと感心する。インターネットで検索すればその場所の写真を見ることができるが、実際に足を運んで自分の目で見なければ、信長がどうして苦労したのか、真に理解することはできない。

[武田耕雲斎の墓]
水戸藩の武士、武田耕雲斎は、敦賀の地で処刑された。水戸藩といえば尊王攘夷、水戸遊学にて、茨城県の弘道館に訪れた際は、大きな「尊攘」という掛け軸を見た。いつの時代も改革をすると干されてしまう。ただ、それを恐れていては、今を変えることなどできない。

[リラポート]
プールと温泉施設が統合した施設が少し丘の上にある。海水浴の後に、温泉や食事目的で来る人が多いのだろう。この日はあいにくの天気だったので、海ではなくこちらで遊ぶ家族連れが多かった。プールはぎりぎり泳げるくらいの小さなものだが、プール外にある景色が一望できる温水スプラッシュプールは、とても良かった。夏場よりも冬場に人が増えそうな施設だと思った。
この日の夜は、リラポートで食事をする予定だったが、スーパーで買い出しをして、旅館で食べることにした。最近、外食をするより、スーパーで何かを買ってきて飲み食いするほうが、格段に安いと感じる。
そして、運動した後は、何倍も美味しいと感じることができる。登山でもそうだが、頑張れば頑張るほど、コンビニのおにぎりでもミシュラン3つ星のシェフが作ったもののように感じる。

今回宿泊させて頂いた「ひがし」という旅館はとても綺麗なところだった。
部屋も広く、朝食も美味しい。目の前は海で、少し水遊びしたり、魚釣りをするにはピッタリだ。家族連れが多く、旅館は賑わっていた。敦賀に来た際は、また泊りに行きたいと思った。

翌日、この合宿のメインディッシュ、水島に向かう。船で島まで移動する必要があり、船の待ち時間がかなりかかると聞いていたが、お盆を過ぎたからだろうか、そこまで待たなくても船に乗ることができた。
水島は小さな無人島のような島で、その島だけ見ると、日本ではなく、海外、フィリピン辺りの小さい島のようにも見える。そのくらい、別世界に来たかのような感覚に陥るほど、海が綺麗だった。スカイブルーの海は、すぐにでも飛び込みたいと思わせるほどのものだ。
すぐに準備をして、ひたすらに泳いだ。海で泳ぐのは何十年ぶりだろう、本当に久しぶりだったが、プールと比べると塩の影響で体が浮いて、ぷかぷか浮かぶことができた。イルカが出たという話があったので、注意しながら泳いでいたが、イルカが出ることはなかった。ただ、次の日はイルカが出たようだ。子供がイルカに襲われていても、周りはなかなか行動することができない。自然というのは、非常に怖いもので、常に危機感を持って行動しなければならない。

その後、休憩を含めて3時間ほど泳いだ。とても満足をして、水島に別れを告げた。また綺麗な海を見に、この地まで足を運ぼうと、そう思った。
今回の旅で学んだことは、無知は怖いということである。山でもそうだが、知らないとどう行動すればいいか分からない。海の流れの速い場所はどこか、溺れそうになった時にどうするか、イルカはどのような生き物なのか、イルカが出た時にどう行動するか、等、ただ家族連れで遊びに行くだけではなく、こういったことをしっかり学んでから行くと、良い学びになるのではないかと思う。また、知っているだけではダメだ。知行合一、知ることと行うことは一緒でなければならない。まさに、今回の夏季合宿である。これからも文武両道、己を磨いていく。

樋浦優人