九州巡業・視察の記録(11月23日~26日)2
11月24日二日目の早朝、照国神社参拝。島津斉彬の立像が薩摩に光明を放つが如く、聳え立っている。松平慶永(春嶽)は、島津斉彬を「頗る胆大にして、外面は英雄らしくも見えねども、中々才智よりは道徳を重んぜらるる人なり、それ故、順恭遜にして、しかも学問あり、余は、此御一新の功業の起りは、順正(聖)公、即斉彬公を以て第一とす。」(島津斉彬・人物叢書)と評した。
「御一新」とは、明治維新のことであり、水戸黄門(光圀)と島津斉彬を識って始めて、明治維新が分かると言える。鳥居の前に鎮座する「斉鶴(さいかく)」は、その容姿に目を奪われる。「斉」は「斉彬公」の一字、斉(ひと)しい(均衡)を意味し、鶴が左右等しく羽を広げたような形をしている。島津斉彬が内外に広い視野を持ち、人と接することにも柔軟であった人物像をよく表わしていると言える。仙巌園で見た日本初のガス灯の形状とも重なる。 「もう行くのか。」と島津斉彬の声が聞こえたように思えたが、先へ急いだ。鹿児島中央駅で「若き薩摩の群像」と対面して、明治の近代化を担った若者 の熱く語る姿に思いを馳せた。
ここからは、レンタカーで移動、霧島神宮に参拝した。ここに来るのは、3度目で、鳥居の横に据え付けられた「さざれ石」と向き合う。
霧島神宮は、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)をお祀りされており、古事記、日本書紀に記述される「天孫降臨」の皇孫、古事記では天津日子番能邇邇芸命(あまつひこほのににぎのみこと)、日本書紀では天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこひのににぎのみこと)と称される。この神社の「手水舎」に目を奪われた。その存在感たるや俗人の穢れをすべて洗い流さんとする勇壮なもので、龍の口から発する潤沢な清水は温泉であり、右手で持った柄杓が瞬時にして下方に傾き、慌てて力を込めて平衡を保った。勢いを感じる温泉の手水を経験したのは初めてである。この不思議な感動を忘れることはないだろう。この後、霧島神宮元宮へと移動した。
霧島神宮元宮の高千穂河原古宮址に立つと、雄大な高千穂峰を前に、「天孫降臨」の神秘さが全身を覆い、古人が安寧を祈った姿を思い浮かべた。初めて参拝したこの閑静な元宮に興味は尽きない。
圧倒的な印象を抱いた神宮を後に、宮崎市内へと向かう。事務局長の知人と宮崎観光ホテルのレストランで昼食を取りながら2時間ほど談話を愉しんだ。
ここから再び高千穂へ、車で2時間30分、荒立神社に到着した。
(つづく)
記録:塾長 三木一之