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活動の紹介

座学

第三十一回講座 二・二六事件は、是か非か —「正義」は、「現実」に埋没したのか—

岡山国際交流センター4階 交流サロン
2019年11月16日 13時30分~16時30分
講師:塾長 三木一之

 欧米列強の侵略から国を守るため、明治維新によって、富国強兵を為し、日清戦争、日露戦争の勝利、第一次世界大戦で戦勝国として、特需景気を経たが、貧富の格差が顕著となり、大正時代末期には、国民の不満が芽を出し始めており、関東大震災が追い打ちを掛けた。昭和に入って、世界恐慌とともに、日本においても、金融恐慌が社会情勢を混乱させた。一方、アメリカ、イギリスは、日本の軍備力の増大を懸念し、海軍軍縮会議によって、その力を削いだ。とりわけ地方の農村の貧窮は、想像を絶するものであった。国の社会経済を引っ張る政治家、財閥への不満は、膨張して行った。また、国防を担う軍隊において、軍備力の縮小は、是認できるものではなかった。その様な時代背景にあって、短期間でテロ事件が多発した。それは、民間人による単独、或は組織を為したものによって惹起された殺傷事件、世の中を震撼させるものであった。当然、軍人も動く。実行前に計画が発覚し、未遂に終わった事件の後、現職の首相を暗殺するという大事件が起こり、その後、軍首脳部の方針を巡って、軍人が上官を斬殺するという事件まで起こった。それら数々の国家改造運動の往き着くところが二・二六事件であった。青年将校は、君側の奸が天皇へお知らせすべきことを遮り、世が乱れていることを憂い、実情を天皇に伝えなければならないということがこの蹶起の重要な目的の一つであったが、この事件の最大の悲劇は、天皇を尊崇する純粋な青年将校が、天皇から逆賊の烙印を押されたことにある。蹶起は、「國體への反逆」でしかなかった。「天皇は、限りなく『私』が少ない存在」であるにもかかわらず、感情を露わにされた言動には、理解に苦しむと言わざるを得ない。蹶起した磯部浅一元一等主計は、当時の日本社会を理不尽窮まりないと思っていた。「理、法、権」における「正義」が「非」なる現実に埋没していることを「非理法権天」を以て訴えた。しかし、『権』と『天』については触れていない。『権』は「天皇」であり、『天』は「天照大神を始めとする皇祖、八百万の神」である。
(二・二六事件は、到底一回の講座で意を尽くすことが出来るものではなく、機会を見て、再度取り上げます。)

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