第三十二回講座 第二部 近代日本の先覚者「幕末思想家 佐久間象山」
大阪市立阿倍野市民学習センター あべのベルタ3階 第1会議室
2020年1月18日 13時00分~16時30分
講師:塾長 三木一之
-東洋に道徳在り、西洋に技術あり-
佐久間象山(しょうざん)の師・佐藤一斎は、「傲慢不屈は、修理(しゅり、象山)の長所」「修理の学問は、早くも老成の域に達した。」と手紙に書いている。象山の性格は、狷介不羈(けんかいふき、自分の意志を固く守って、何者にも束縛されないこと)、敵を作る偏屈であるが、人の道を弁えた人物であった。象山は、松代藩主真田幸貫(ゆきつら)の援助なくして、幕末の大思想家になり得なかった。真田幸貫は、象山が偉材であることを見抜き、その才能の育成にできる限りの援助を行った。「世に伯楽あり、然る後、千里の馬あり。」(韓文公)名馬は、如何にして現れるか?人物は、人物によって見出される!島津斉彬と西郷隆盛、徳川斉昭と藤田東湖、松平慶永と橋本佐内もまた同じ。象山は、「海防八策」を記(しる)す等、幕末の志士に与えた影響は多大なものであり、その弟子吉田松陰の渡航計画もその一であった。吉田松陰の密航失敗につき、連座して7か月入獄し、出獄後に獄中で考えたことを記録したものが省諐録(せいけんろく)である。象山は、54歳で刺客に斃れ、国賊の汚名を着せられる。しかし、明治22年2月11日大日本帝国憲法公布に伴い、正四位を贈位され、昭和13年生誕地に、「象山(ぞうざん)神社」が建立される。