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活動の紹介

座学

第三十六回講座 仏教の論語「正法眼蔵随聞記」から自決の真理を紐解く。 ―何故、森崎 湊は、割腹自決したのか。―

大阪市立総合生涯学習センター 大阪駅前第2ビル5階 第6会議
2020年9月19日 13時30分~16時30分
講師:塾長 三木一之

「正法眼蔵随聞記」は、曹洞宗の開祖道元禅師が弟子懐奘に語った記録。道元の宗教・思想の根本は、「只管打坐」― 即ち、坐禅、仏法を行じ行じ抜いて止まるところがない。真理を体得することである。道元の「自由」とは、仏法を絶対的価値とし、他の一切を放棄すること、無一物。何にも縛られない。食べ物が全くなくなったならば、その時に臨んで乞食(こつじき)すれば良い。真の価値は、経文や仏像にはなく、汝の魂の中に在る。経文は、仏の教えを書いたに過ぎず、言わば滓(かす)に過ぎない。道元にとって、仏道に生きることが絶対的価値であり、正邪善悪の判断基準は、道徳や常識にはなく、ただ、それは、第一義である仏道に適っているか否かである。自利か他利かどちらを優先するか、どちらでもよい。道を求め、道を行ずる。世間でいう「是非善悪」とは、一体何を基準にしているのか?良い人とはどういう人を言うのか?すべて己を利する立場からいう。自分の立場が無意識のうちに入り込むから誤り。己の利、自分の立場、自分の都合から判断する。この「私心」を取り去る!今まで自分が抱き続けて来た価値判断の全面的な放棄!それは、道元の叫びである。西田幾多郎は、坐禅によって、哲学を究めようとした。それは、西洋哲学において、解消されない論理的矛盾を突破することであった。足腰が弱く、知識ばかり身につけたのでは、実に「いびつ」で「歪んだもの」になる。

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