第三十回講座 第一部 「台湾に煌々と輝く武士魂」 -台湾の近現代史に観る-
大阪市立阿倍野市民学習センター あべのベルタ3階 第4会議室
2019年10月19日 10時00分~12時00分
講師:事務局長 吉川貴志
現在、親日国として知られている台灣は、大東亜戦争終結までの50年の間、日本の統治下にあった。その国が、このように親日となったのはどのような歴史があったのであろうか。
台灣には、ポリネシア系の人達が「原住民」といわれており最初にこの島に暮らし始めたのはこの人達である。その後、大航海時代に、スペインやオランダが貿易の中継地として支配をする。そして、清に追いやられた鄭成功(ていせいこう)(母は日本人、父は福建省出身で朱印船貿易を行っていた(平戸に住む))が台湾に侵攻し翌年オランダと講和条約を締結し支配するが、清が台湾に進撃し一時期台湾を台湾府とした。しかし清は台湾を「化外の地」とし統治は行っていない。ただ清の政権に不満を持つ人達の台湾への移住者は、日本が台湾を統治するころには、250万人を超えていた。(この人達と原住民が現在本省人といわれている人である。)
日清戦争に敗れた清は、日清講和条約を結び台湾を割譲し日本の統治時代が始まる。統治された台湾の人々は、抗日運動を行い約20年間続けられた。日本の統治政策は教育の普及と産業を興すことに注力しこの政策の効果が出てきて次第に台湾の人々が日本を受け入るようになる。
そのころ大陸では、孫文を中心とする国民党(実際は日本の協力者が中心となって活動を行っていた)と毛沢東を中心とする共産党が勃興し互いに争っていたが、日本軍の満州への侵攻により対日戦線で協力することになる。
大東亜戦争終結により、台湾は国連の統治下となり、共産党との争いに負け続けた蒋介石率いる国民党は台湾へ逃げ込む。そしてマッカーサーは蒋介石に台湾統治を依頼する。
台湾を統治することになった国民党に期待をした「台湾人」であったが、日本に統治された時との違いに愕然とした。ここから日本統治時代に育った人達は「台湾国」を意識し、自分達は明らかに「中共」の人と違うことを意識し始めた。それが現在に繋がっている。
この歴史を踏まえ現在の日本人が思い違いをしてはならないことをいくつか挙げておく。
・全ての台湾の人が、親日ではない。前大戦後に渡ってきた中共の血を引く人々は未だに台湾中枢の支配的な地位におり、中共を良く思っている。
・日本統治時代に、日本は原住民に対して酷い扱いを行っている。原住民達の意見は表面に出ていないが彼らの心にはわだかまりが残っている。
・日本統治時代に、ダムの建設、砂糖の精製、お米の増産、鉱山の開発、教育の普及による識字率の向上などいくつかの政策により台湾全体の民意が向上している。これらの実績は、日本人だけの成果でなく「台湾人」がそれを受け入れて行ったことも重要な要素の一つであることを忘れてはならない。
今回の講座では、日本人が台湾を想う事件と台湾人が日本を想う事件の二つの事件の紹介を行った。
・根本博(元北支那方面軍司令官)が、前大戦後に台湾に密航し中共から金門島を守った事件
・日本人の父と台湾人の母を持つ坂井德章が228事件の時に国民党軍の弾圧に屈することなく戦い、「台湾人」を守るため自ら「日本人」として名乗り銃殺された事件。
国と国との繋がりでお互いにこのように信頼をしている関係は世界でも例を見ないのではないだろうか。現在の日本人は、観光や食べ物だけに関心を持っている人が多いが、もっと台湾を知り「台湾人」を深く知る必要がある。
人との繋がりと同じで国の繋がりも信頼を損なうのはたやすく、そしてその信頼を取り戻すのは不可能に近い。昨今の日本近辺の情勢を見ても最も大切にしなければならない国が台湾であると言っても過言ではないが、国策として行えていない。50年も統治をした国として中共から台湾を守る責務がある。