第二十一回講座 現代日本の礎 ―大化改新―
大阪市立阿倍野市民学習センター あべのベルタ3階 第2会議室
2019年1月19日 13時30分~16時30分
講師:塾長 三木一之
大化改新とは、古代の行政改革であって、その内容は、「唐が隋を倒し、律令を基本法とする中央集権的な国家体制を築いたこと」をわが国においても実行しようとしたものである。唐から帰国した留学生や学問僧によって、唐の状勢が伝えられた。大化改新を実行せしめた事件が乙巳(いっし)の変である。
乙巳の変とは、中大兄皇子と中臣鎌子が時の権力者蘇我蝦夷・入鹿親子を打倒したクーデターであり、興味深い古代史の五つの謎を有している。この謎を探ることによって、大化改新が如何に生み出されたかを知り得る。1.中臣鎌子(後の中臣鎌足、死の直前に天智天皇より藤原の姓を授けられ、藤原鎌足と称する。)は何者か?
2.蘇我氏は、渡来系であったのか? 蘇我氏は、何故権力を握っていたのか?
3.三韓の朝貢の儀式は本物であったのか?
4.次期大王としてのお披露目の場であるならば、この重要な場に、一人の位の高い人物がいないのは何故か?何故、この暗殺が行なわれたのか?
5.外的な要因はなかったのか?鎌足の出自が不明。意図的に隠されている。蘇我馬子、蝦夷、入鹿と蘇我氏が権勢を誇った頃は、天皇(大王)の後継者争いに明け暮れていた。朝鮮半島では、三韓=高句麗・新羅・百済は、それぞれ勢力争いをしていたので、その使者が一同に会するとは考えられない。この儀式の場面に登場しない重要な人物とは、王位継承の第一順位の皇極天皇の弟軽皇子(後の孝徳天皇)である。この当時、大陸では、隋を倒した唐が強大な力を盾に朝鮮半島に圧力をかけていた。
(近現代史を識るには、大化改新を学ばなければならない。)