第二十九回講座 第二部 「朝鮮半島における三大戦争から識る日韓の歴史」-白村江の戦い、日清戦争、日露戦争-
大阪市立阿倍野市民学習センター あべのベルタ3階 第2会議室
2019年9月21日 13時30分~16時30分
講師:塾長 三木一之
白村江の戦は、日本の古代史に大転換を齎すと同時に、新羅による朝鮮半島の統一を齎した。朝鮮半島は、高句麗、百済、新羅の三国時代にあって、663年、日本・百済連合軍対唐・新羅連合軍の戦い、唐の百済征討の目的は、高句麗征討であった。白村江の敗戦によって、倭国(日本)は、唐との軍事力の差、国家体制(中央集権国家)の違いを知り、中大兄皇子は、中央集権国家を目指して、律令支配体制、律令官僚制を築いて行く。日本にとって朝鮮半島は魅力のある地ではない。日本が向いていたのは、中国大陸である。その入り口、通過導線として、地理的に朝鮮を超える必要があった。朝鮮が欲しくて、朝鮮と戦ったのではない。現に戦ったのは、明の軍隊である。
何故、日清戦争は起こったのか?何故、朝鮮半島を舞台に戦われたのか?日中間の紛争の要因は、「琉球の帰属問題」と「朝鮮の事大主義」にある。明治4年11月琉球漁民殺害事件が起こり、結果、清国(中国)は、日本に賠償金を支払った。歴代の中国王朝は、中華思想・世界観に基づいていた。李氏朝鮮は、「事大主義」であり、清国は宗主国、朝鮮は属国である。琉球は、中国に隔年みつぎ物を献上し(進貢し)、慶賀使差遣(お祝いに使いを派遣すること)も行っていた。朝鮮王朝に次ぐ密接な関係があった。朝鮮の伝統である「事大主義」は、今も活きている。日韓の問題処理をアメリカに縋る。
(時間の都合により、日露戦争は割愛しました。)