第二十四回講座 第一部 「元寇」中世日本の最大の危機 その時対馬は
大阪市立総合生涯学習センター 大阪駅前第2ビル5階 第1会議室
2019年4月20日 10時00分~12時00分
講師:事務局長 吉川貴志
「元寇」中世日本の最大の危機 その時対馬は。
チンギス・ハンがモンゴル帝国を建国し、オゴタイ・ハンを経て、五代目のフビライ・ハンが国号を大元と改めた。世界の陸地の1/4を支配し、高麗も朝貢国とした後、東方に残った日本も朝貢国とするために行ったのが元寇である。「元寇」は、日本に侵攻した「文永の役」「弘安の役」の2回の呼称である。
日本への侵攻は、高麗からと江南(上海近辺)の2ルートがあり、主力部隊は高麗ルートである。そのルート上に位置していたのが対馬であった。
「文永の役」では、元と高麗の連合軍の軍勢は兵士28,000、梢工・水手15,000、戦艦900隻であったのに対し対馬の軍勢は、少人数でありとても争える状況ではなかった。最初に上陸したとされる須佐浦において守護代の宋助国は、たった30騎を率いて防戦したが討死をしている。元と高麗の連合軍は対馬の他の港にも上陸し、その後壱岐が襲われる。この対馬、壱岐の侵略では百姓の男も殺され、または捕らえられ、女は手に穴をあけて綱を通して船に結び付けられ、あるいは生け捕りにされた。
元寇の前や最中に、元から朝廷、鎌倉幕府に詔書(元の朝貢国となること)が送られているが、すべて無視をしている。ただ、返書の用意もしており、その返書に日本の意思が記されているので紹介する。
「事情を案ずるに、蒙古の号は今まで聞いたことがない。(中略)そもそも貴国はかつて我が国と人物の往来は無かった。本朝(日本)は貴国に対して、何ら好悪の情は無い。ところが由緒を顧みずに、我が国に凶器を用いようとしている。(中略)聖人や仏教の教えでは救済を常とし、殺生を悪業とする。(貴国は)どうして帝徳仁義の境地と(国書で)称していながら、かえって民衆を殺傷する源を開こうというのか。およそ天照皇太神(天照大神)の天統を耀かしてより、今日の日本今皇帝(亀山天皇)の日嗣を受けるに至るまで(中略)ゆえに天皇の国土を昔から神国と号すのである。知をもって競えるものでなく、力をもって争うことも出来ぬ唯一無二の存在である。よく考えよ」
現在の議員たちに、見習って欲しい内容である。
その後も対馬は、地政学的に朝鮮半島と日本の間にあることから、外交文書の翻訳、使節交流などでの通訳等、外交で重要な役割を担っている。昨今では、韓国からの旅行客が増え、観光収入が増加しているがマナーが悪いことや、土地の購入を行うなど問題が起きている。やはり朝鮮半島との繋がりは切ることが出来ない。
対馬は、日本の喉仏に位置する朝鮮半島からの進入を防御する位置にある。その対馬で何が起こっていたのか。そして今何が起こっているのか。去稚敬天塾では、4月末に対馬を訪問するが、自分の目で見て、聞いて対馬を肌で感じ、この疑問の一端でも感じ取ることができればと思う。