第十三回 講座 第一部 孔子-七十にして矩を踰えず
大阪市立総合生涯学習センター 大阪駅前第2ビル5階 第2会議室
2018年4月21日 13時30分~15時00分
講師:事務局長 吉川貴志
論語為政第二(四)は「子曰く、吾十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑はず、五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従へども、矩を踰えず。」である。
学びを志した孔子は、終生この志を追求し、終(つい)に「心の欲する所に従へども、矩を踰えず」に至る。
孔子が生きた時代背景をこの章に述べられている年齢を節目に、儒教の体系付けに至るまでを追った。
孔子は春秋時代末期の人物である。春秋時代はその後戦国時代に入り七大国(秦、楚、斉、燕、趙、魏、韓)へと集約されていく。そこでは小国や大国が群雄割拠し覇を競い多くの国が滅び、属国となる時代であった。そこでは徳は廃れ覇が優先する政治へと移って行く時代でもあった。孔子は時代の流れに反し、この混乱した政治を徳の政治、民の為の政治となるように儒教の教えを浸透させることに終生を費やす。
春秋時代に行われた宗廟に祖霊を祭る宗法秩序(宗教的神秘的な空気が強かった祖霊を祀る秩序)の解体は、祖霊からの解放に繋がった。これは国王への忠誠はなくなり、力の政治への移行でもあった。社会の体制が崩壊し国や家の浮沈が激しくなると、人間的な努力(一族を守る努力)の必要が自覚されてくる。
一族を守る努力とは、祖先崇拝と祖霊信仰である。崇拝を行うのは、子孫であり、祖先の祭祀を行い続けるには連綿と続く一族が必要であるとする考えである。
そこで、
①祖先の祭祀 ②父母への敬愛 ③子孫を生むこと
を儒では孝とした。
この孝を元に仁、恕の理念に繋がる。これを儒教として体系化したのが孔子である。