第11回(令和5年第1回)山坂達者講座【木曾駒ヶ岳】
「災い転じて福となす」
今回はまさにこの言葉がピッタリの山行であった。
【いきなりの大ハプニング】
今回は仙丈ヶ岳・甲斐駒ヶ岳に行く予定をしていた。
2つの大きな山が隣同士に並んでいて、その間に山荘やテントを張ることができる北沢峠という場所がある。
その北沢峠を拠点に2つの山を登る計画を立てていたので、1日目は木曾福島駅から北沢峠までバスで行く予定だった…
しかし!!!
木曾福島駅に無事到着したのも束の間、駅前は閑散としていた。
塾長とチケット購入とバス待ちをいかにスムーズに行うか作戦会議をしていたが、人っ子一人いない。
仙丈ヶ岳・甲斐駒ヶ岳は人気でこのシーズンは登山客で溢れかえる山だ。にも拘らず、人っ子一人いない!
そう、木曾福島駅から北沢峠までのバスは、現在、運行していなかったのだ。
【注意】
現在、木曾福島駅から北沢峠までのバスは運行していないので、北沢峠まで行かれる方はご注意ください。
慌てて観光案内所で確認をすると、どうやら今は茅野駅からバスに乗る必要があったようだ。タクシーで行くにも運賃が片道3万円もかかる。御嶽山に行くにもテント場がなく山荘の予約が必要。どうしようかと途方に暮れていた時、三木塾長の機転が冴えわたる!
塾長は、中央アルプスの木曾駒ヶ岳へ行くという妙案を思いついたのだ。幸い、登山口までタクシーで5000円程度と安く、我々はすぐさまタクシーに飛び乗った。塾長の咄嗟の判断力や行動力には毎度驚かされるが、とても学びになる。これこそ活きた学問である。
そんな暗雲立ち込める大ハプニングからはじまった今回の山行の記録を記す。
参加メンバー:三木塾長、吉川局長、樋浦塾生
日程:2023/09/16(土)~2023/09/18(月)
【1日目】
10:30 福島Bコース登山口
11:50 幸ノ川渡渉地点
12:30 力水
15:07 木曾駒ヶ岳七合目避難小屋
1日目はタクシーで登山口まで移動した。福島Aコースもあるようだが、今は倒木で通行止めとなっている。目的の木曾駒ヶ岳七合目避難小屋までは、約4時間半ほどかかった。出発地点の標高が1300m、木曾駒ヶ岳七合目避難小屋が2400mなので、約1100mの登りだ。
途中、幸ノ川渡渉地点で小さな川を渡る必要があったのだが、そこで塾生樋浦がやらかした。川を渡る為、石を踏んだのだが、踏む場所を間違えて豪快にこけて川にぼっちゃんしてしまった。石の尖ったところを踏むのを怖がって、斜めの平な部分を踏んだことにより、滑った。そこまで深くなく流れも緩やかな川だったので助かったが、危うく大けがをするところだった。失敗からまた1つ学ぶことができた。
幸ノ川渡渉地点から木曾駒ヶ岳七合目避難小屋までは、ひたすら上りが続く。比良山での修業が功を奏したのか、なんとか順調に上がりきることができた。
避難小屋は今まで色々な山で見てきたが、ここの避難小屋は群を抜いて綺麗だった。恐らく、建てられたばかりの小屋なのだろう。他に親子連れの2人がいたが、それ以外は私たちだけで、快適に過ごすことが出来た。
1日目の食事はとても豪勢なもので、三木料理長のハンバーグやスパゲッティ、吉川パティシエの梨など、山では贅沢な夜ご飯だった。同じご飯でも頑張って山を登った後に食べるご飯は格別である。
次の日は、避難小屋に荷物を置いて、頂上まで行ってまた避難小屋に帰ってくる、という計画を立てた。
【2日目】
06:08 木曾駒ヶ岳七合目避難小屋
07:10 八合目水場
08:53 玉乃窪山荘
09:22 頂上木曾小屋
09:32 木曾駒ヶ岳
10:42 木曾駒ヶ岳 頂上山荘
10:57 中岳
11:23 宝剣山荘
11:53 宝剣岳
12:15 宝剣山荘
12:48 中岳
12:55 木曾駒ヶ岳 頂上山荘
13:11 木曾駒ヶ岳
13:40 頂上木曾小屋
14:01 玉乃窪山荘
15:15 八合目水場
16:16 木曾駒ヶ岳七合目避難小屋
木曾駒ヶ岳の頂上までは長いアップダウンが続く過酷な道で、最後は上り調子の道が続く。過酷ではあったが、山の涼しい風が頑張れ!と応援してくれているようだった。尾根付近まで上がると、そこには絶景が広がっていた。太陽が昇りはじめ、遥か遠くに見える槍ヶ岳は赤に染まっていた。以前、槍ヶ岳の朝焼けをみた光景が蘇り、暫く、その景色に浸っていた。頂上まではあと少し、休憩もほどほどに、歩みを進めた。
出発から約3時間半、ようやく、目的の木曾駒ヶ岳山頂に到達した。そこに広がっていたのは、今まで行った山々を見渡すことができる、360度の大パノラマだ。しかも、空は海の様に青く、広大な景色に心が洗われる。木曾駒ヶ岳はロープウェイで簡単に来ることが出来るが、自らの足で重い荷を担いで登ったのとでは、感動の大きさも見える景色も何もかもが段違いだ。
「これだから山はやめられない」
去年、台風の影響で行けなかった仙丈ヶ岳・甲斐駒ヶ岳。今年こそは!と思っていたが、今年もハプニングがあって行けなかった。そんな災いが吹っ飛ぶほどに、幸運な体験をすることが出来た。我々は、贅沢な景色を眼前に天空のレストラン(セルフサービス)で昼食をとった。
昼食を終えて、次は宝剣岳に向かった。宝剣岳は岩場で滑落する人もいるような難所だ。到着すると、頂上手前から降りてくる人を待っている人で行列ができていた。ロープウェイで気軽に来ることができる分、山に慣れていない人でも来ることができる。案の定、行列の原因となっていたのはどんくさそうなおばちゃんである。荷物や靴を見ると、山をなめているのかと思うほどだった。ようやく行列が解消して頂上まで登ったが、今まで経験したどの山道より怖かった。鎖が付いてはいるが、足を滑らせて手が離れでもしたら一巻の終わりだ。確かに難所と言われるだけはある。生憎、ガスが出てきたこともあり景色を見ることはできなかったが、なんとか頂上まで到達することができた。三木塾長に岩場の歩き方を指導してもらいながら宝剣岳を後にした。
【岩場のポイント】
・鎖はしっかり掴む
・手をつっぱって、鎖に近づけないようにする(肘を曲げない)
・足を置く場所をしっかり見る
・手と足、合わせて3点は必ず接した状態にする
下山時は途中で水とビールを買って帰ることにした。木曾駒ヶ岳 頂上山荘で買う予定だったが、なんと、水が2リットル1000円もするのだ。
かなりの値段に圧倒され、少し下の玉乃窪山荘で買うことにした。これが功を奏し、水が2リットル200円という値段で購入することができた。
しかも!水がキンキンに冷えていてとても美味しい!ビールもしっかり冷えていたので、帰ってからが楽しみだ。
水も補充して避難小屋まで歩いていると、なかなか避難小屋に着かない。そして、行きはあまり感じなかったが、かなりアップダウンが激しい道であった。
険しい道が続き、緊張でかなり体力を消耗する。バテバテになりながら歩いたが、最高のビールが待っていると考えると、自然と足は動いた。
玉乃窪山荘から2時間、ようやく避難小屋に到着した。体感時間は2時間以上あったように感じる。お楽しみのビール!といきたいところだが、いきなりあけると爆発してしまうので、今日の景色を脳内で振り返りながら、じっくり待つことにした。そして待つこと10分、遂に、念願のビールを喉に流し込んだ!
至福とは、この時の為の言葉なのだと思った。居酒屋で飲むビールとは違う。それは努力したものだけが味わえる至高の1杯である。
しかし、至福の時間はすぐに終わってしまう。もう1杯飲みたい、、そう思うのだが、山でビールが飲めただけでも有難いことだ。次の楽しみは下山後にとっておく。
次の日は下山して帰るのみである。
【3日目】
07:26 木曾駒ヶ岳七合目避難小屋
08:59 力水
09:47 幸ノ川渡渉地点
10:20 福島Bコース
帰りは少し余裕があった為、朝はゆっくりの出発である。朝は天気が良く、避難小屋から御嶽山や雲海の景色を眺めることができた。
木曾駒ヶ岳との別れを惜しみながら、来た道を下っていく。帰りは川でぽっちゃんすることなく、渡りきることができたのは、短期間の成長だと感じた。
下山時、吉川局長の足が限界に来ていた。山では疲れが一気にくるから怖い。途中、休憩を入れずに突き進んでしまった私にも責任がある。局長の荷物を塾長と分担してなんとか下山することが出来た。私も荷物を持ってもらうことがあった為、役に立てると嬉しく思った。これからもさらに体力をつけて、重い荷を担げるようになる為に努力をしていく。
下山後はオートキャンプ場で寛いだ後、木曾福島駅の駅前でご飯やお土産を買い、帰路に着いた。
初日はどうなることかと思ったが、3日間、暗雲は立ち込めることはなく、晴天の中、大自然を満喫することができた。これからも自然に学び成長していく。
山行記録者:塾生 樋浦 優人
感想
塾生 樋浦優人
情報の収集不足から今回、大きく予定と変わってしまった山坂達者講座であったが、貴重な経験をすることができた。今回の失敗から学び、次は電話をしてちゃんと確認をするように心がける。
はじめて登山をした時、そして、登山をし続けている中で、なぜ山に登るのか?を考えていた。今回も山行の中で考えていたが、「そこに山(エベレスト)があるから」と答えたジョージ・マロリーの言葉は哲学めいていてよくわからない。しかし、今回の山坂達者講座で私自身、なぜ山に登るのか?が分かった気がする。それは、努力が報われるから、だと感じた。
世の中、沢山努力をしても報われないことだってある。しかし、山は頑張って努力すればその分、広大な景色や美味しいご飯など、大きな感動を与えてくれる。勿論、去年の様に悪天候で行けなかったりすることもあるが、その分、感動な何倍にもなって返ってくる。また、登山は怠けた日々の心をたたき直すという意味もある。登山は私にとって修行の場でもあり、学びの場でもある。これからも山に登り続けられるように体力作りやトレーニングを欠かさず行っていく。
塾長 三木一之
試される山坂達者講座
JR木曾福島駅には、魔物が棲みついているのだろうか。此処から目的地へ向かうバスの姿は全く見当たらない。瞬時にして、甲斐駒ヶ岳・仙丈ヶ岳の登山計画は白紙となった。コロナ過が原因ではなく、数年前に運行は廃止されていた。調査不十分が魔物の正体であった。悠長に構えている時間はなく、情報収集の結果、木曾駒ヶ岳福島Bコースを選択した。タクシーで登山口まで移動、この付近は、オートキャンプ場になっており、本気の登山は感じられない。
登山口から登ること約5時間で、木曾駒ヶ岳七合目避難小屋に辿り着いた。ザックの重量は16kg、大きな荷を担ぐのは三年ぶり、少々不安はあったが、長く感じたものの、疲れはさほど感じなかった。まだ行ける!
翌日、この七合目からの先は、変化にとんだ地形で、緊張しながら自然を楽しむことができる良いコースであった。木曾駒ヶ岳頂上では、大勢の登山客で賑わっており、さながら観光地の如く、写真撮影の行列が出来ている。このとき快晴、空の青さが突き抜けている。さらに、雲海の白さが自然の美を見事に演出している。日本有数の名峰、中央アルプス最高峰の壮大さを満喫させてくれた。360度、何処を切り取っても名画である。真夏を感じさせる太陽熱に岩も人も焦がされるが、澄み切った空気が爽やかで、この大自然の中から逃れることを拒絶する。
そして、もう一つの目的地を目指す。それは、圧倒的な個性を有つ宝剣岳である。自然が創造した大岩の芸術が2,931mに聳え立つ。頂上近くで、大渋滞に巻き込まれる。そのとき、前で並んでいる人は既に20分硬直状態が続いているという。岩稜が直角に曲がっており、先が全く見えない。一方通行であることは容易に推認できる。それにしても、上りが完全に止まったままであるにもかかわらず、一向に下山者が姿を見せない。やはり、此処にも魔物は棲みついているのか。この宝剣岳での滑落事故は少なくない。慎重の上にも慎重を要する難所である。先の見えない時間が経過する。後ろの列の若い男性が様子を見に、私の傍まで来て、また戻って行った。すると、漸く下山者の姿が見えた。何と、小さなポシェットをたすき掛けにして、へっぴり腰で、岩にお尻を擦り付けるように降りて来るではないか。私には、この二人連れの女性が魔物としか思えなかった。お山を冒涜している。「世間を舐めても痛い目に合うだけやけど、山を舐めると死ぬ。」というのが私の口癖である。山に対する尊崇と畏怖心を忘れることは許されない。それは、登山の基本である。迷惑を通り越したこの者たちに憤りを覚えながら、その後、時間を要することなく頂上に着いた。名の如く尖った頂上は狭く、早々に下山した。既に宝剣岳は、ガスに覆われており、雄大な景色は幕を閉じている。
登って来た道を引き返し、二泊目の木曾駒ヶ岳七合目避難小屋に戻った。
三日目、避難小屋を出発して、登山口、キャンプ場を経て、バス停まで降った。
今回の山坂達者講座は、試される山行であった。予定していた計画を急遽変更せざるを得なくなり、即断即決を求められ、そのとき如何に適切に対処できるか、経験を活かすことができるか、を問われた。良い結果となったことは、実に幸運であった。日頃からの地味なトレーニングは活かされていると実感した。この三日間お山が微笑んでくれたことに感謝しつつ、三人が力を出し合って、無事実学講座を終えることができ、至福の連休を過ごすことができた。
偉大なるお山と真摯に向き合うちっぽけな命の自分が好きである。
局長 吉川貴志
山は学びの宝庫
令和5年9月16日から18日の山坂達者講座は木曽駒ケ岳登山となった。38年前に登った山であるが、山は歩くルートにより色々な顔を持っており前回と全く別の顔を見せてくれた。1日目は登りが主で勾配がきつく時折爽やかな風が吹いたが汗は引くこともなく流れ出る。水分と塩分の補給が欠かせない。樹木が多い木漏れ日の山道を黙々と登って行く。
登りが厳しい為かいつもより会話が少ないように感じる。4時間程で7号目の避難小屋に到着しここが2日間の宿泊場所となる。建て直してから日が経っていないようでとても綺麗でロッジのようであった。
2日目は木曽駒ケ岳山頂往復となる。この日のルートは土、瓦礫、岩の道を歩き、登り下りが多い。宝剣岳への岩登りも加わり変化に富んで愉しい行程である。木曾駒ケ岳山頂では北アルプスから南アルプス、富士山も一望出来て壮観である。暫くすると霧が垂れ込め一面真っ白となった。谷から山頂に向けて吹き上がる霧で、一瞬にして変わる状況を眺めていて、人や物事との出会い、それを捉える一瞬の大切さを思った。
次の宝剣岳山頂は鎖場を通って行くルートであったが、ある程度年齢を重ねた登山経験の無さそうな軽装の女性が登っていた。危険な場所で時間を要したようで30~40分待った人もおり周りへ迷惑や自身の命についてこの年齢になっても分かっていない。マナー以前のことである。
避難小屋への帰りは登りと同じルートを戻ったが登り以上に緊張感を緩めることが出来ない。体力、精神ともに疲れが増して行き「やっと」避難小屋へ到着した。下山途中の山小屋で買った缶ビールで乾杯!どんな高級なクラフトビールより美味い。格別である。3日目の朝は朝日で紅く染まる山々が迎えてくれた。今日はほぼ下り道。楽しかった3日間の最後である。しかし人生楽しいことは続かない。下山途中で腿の筋肉が限界に達し踏ん張りが効かなくなり、三木塾長と樋浦塾生に荷を預け軽くして頂くことになった。登山口まで約1時間は申し訳ない気持ちでしょんぼりと歩を進め山坂達者講座は終了となった。
今回の山坂達者講座は色々なことが有ったが矢張り山は学びの宝庫であることをより一層実感出来た。登山の準備では、ルートの確認や、前回との体調の違いを意識した食料の選択、水分の量、荷重さ調整、衣類の寒暖準備などを行った。それでも想像をしていない出来事が起こる。それらにどのように対処するのか、仲間との連携、特に終盤での体力不足は堪えた。筋力の限界は、中学生のクラブ活動でを経験して以来、この年齢で経験。三木塾長と樋浦塾生にお世話を掛けることになったが、とても有難い経験をすることが出来た。今回の登山は体力の事だけでなく自身の生活全般に照らし合わせると色々考えることがあり、現在も進行中である。
木曽の山々に感謝。そしてともに学ばせて頂いている三木塾長、樋浦塾生、有難うございました。