第3回山坂達者講座の記録(大峰テント泊登山)
平成30年11月23日(金・祝)~11月25日(日)
参加者:三木一之(塾長)、樋浦優人(塾生)(計2名)
8月から本講座を始めて、4か月連続テント泊縦走を行った。塾生にとっては、短期間で自然から多くのことを学んだことであろう。自然は厳しいが故に、人はその美しさに感動する。
1日目 11月23日(金・祝)【歩行時間6時間】
8:20下市口出発(バス)→9:04着天川川合・9:17出発→12:17栃尾辻→14:33狼平→16:00弥山(テント泊)
2日目 11月24日(土)【歩行時間9時間】
6:00弥山出発→7:30弁天の森→8:20一ノ垰→9:40天川辻→10:05行者還岳→13:20弥勒岳→14:00大普賢岳→15:50女人結界門→16:30小笹宿(テント泊)
3日目 11月25日(日)【歩行時間6時間】
5:50小笹宿出発→7:00山上ヶ岳→8:40洞辻茶屋→9:20一本松茶屋→10:20女人結界門・清浄大橋→12:10洞川温泉~12:25洞川温泉出発(バス)~13:35下市口着・13:54近鉄下市口駅乗車
第1回山坂達者講座と同じルートを登る。ところが、その風景は一変していた。眼前が開けた時、前方の高峰は、白く光っている。その要因が何であるかは分からず、えっ!と思いながら、脚を運んでいくと、その正体が冠雪であることに気づいた。この時期に、大峰に登るのは初めてであった。記憶に新しい登山道であったが、所々で様変わりしている。登山道を倒木が遮り、数か所迂回する必要があった。登山口では、台風の影響で、倒木がある旨の表示がなされていたが、第2回山坂達者講座の比良登山同様、大峰でも、至る所で荒れている。栃尾辻を過ぎ、標高が上がっていくと、雪と出くわす。さらに、弥山に足を踏み入れると、辺りは見事な樹氷で覆われ、木々に海老の尻尾が張り付いている。山の中が白く輝き、美しい弥山が顕現されている。そして、寒さが一層その白さを際立たせている。弥山小屋に着くや否やテントを設置する。一旦、テントの中に身を入れてしまうと、空腹と寒さがわれわれを閉じ込めてしまう。その上、辺りは霧に覆われて、全く景色を見ることもなく、当初予定していた八経ヶ岳のピストンは、瞬間にして、取止めとなった。兎に角、あったかい物を食べたい一念で、早速、湯を沸かし、カップラーメンとアルファ米の定食を腹に収める。燃えるガスによって、テントの中は、一気に快適になるが、火を止めると、寒さが戻ってしまう。それでも、温かい食事が有難い。仕上げは、お気に入りのインスタントコーヒー。ここでは、これらの粗食が小さな感動を齎してくれる。感動や価値は、相対的なもので、厳しい環境に身を置くと、その厳しさを和らげるもの全てが高価なものとなる。このことを理解するには、体力と精神力を要することは言うまでもない。山坂達者講座の真骨頂である。
二日目の早朝、寒さで体が硬い。テントの撤収に少々手間取り、出発が予定より遅れる。弥山から東へ向かって降るが、雪と氷の張り付いた木板の階段にてこずる。どれだけ滑るのか、足で探りながら、牛歩の如く降りるため、大幅に時間を費やさざるを得なかった。凍ったフライシートがずっしり重みを増す。少しでも、バランスを崩すと、木板が滑り台になってしまう。この難所を過ぎたところで、漸くヘッドランプも不要となり、前方がオレンジ色の輝きを増して来た。進行方向に向かって、折り重なる樹氷の間から御来光が見える。今日の天気は良好である。足元の安定した場所で、御来光と向き合う。寒さの中では、神々しさが高まる様に思えるのは、そのエネルギーを全身で感じ取っているからだろう。昇り切った太陽に向かいながら、さらに降って行くが、この時間帯、このルートは、雪もまだらでトレースが分かりづらい。一ノ垰までが頗る遠くに感じられた。ここで、簡単な朝食を取っていると、7人ほどのグループがやって来て、同様に休憩をし始めた。われわれとは逆方向で、昨日行者小屋(避難小屋)に泊まったが、15人も居て一杯だったこと、今日は、弥山から八経ヶ岳へ、狼平の避難小屋で止まることを話された。この小屋も満員であろうことは誰もが予想し得ることである。われわれは、朝食も早々に、先へと縦走を再開した。行者小屋は、実に立派できれいな小屋である。以前、行者還岳日帰り登山で来た時、この前で昼食を取ったことを思い出した。ここから大普賢岳までは、鎖、梯子と難所が所々に現れる。雪の影響で足底が滑りやすくなっており、ザックの重みでバランスを崩すさぬよう慎重に上り下りをこなして行く。登山経験の浅い塾生のとっては、この道が修験道に思えただろう。大普賢岳に12時頃到着という思惑は、あっさり消え去った。安全を最優先しなければならない故に、大幅な時間の遅れは致し方ない。大普賢岳から先へ進んだ辺りで、標識が分かりづらく、道を誤ったが、修正し、登山道へと合流した。女人結界門の前で、女性の登山客が4人立っていた。その間をすり抜けて、女人禁制の山上ヶ岳へと向かった。しかしながら、小笹の避難小屋に到着したときは、既に16:30、このまま先へ進むことは、危険である。山上ヶ岳に着くまでに日没、暗闇は避けられないだろう。その時、避難小屋の中で、一張りのテントが設置されており、一人の男性が小屋から出て来て、ここで泊まることを進言した。やはり、選択の余地はなさそうなので、2日目のテント泊となった。昨日の弥山に比べると、寒さは柔らかい。再び4人用のテントを設置する。フライシートを広げると、雪の塊が出て来た。初日と重さが違うはずである。この日の夕食は、パサついた赤飯おにぎりをお湯でふやかしたものとドライフルーツ、インスタントコーヒーのみである。決して、ダイエットしている訳ではない。
三日目の早朝、日の出前に出発するが、降り口が見当たらない。お堂の方へ見に行くも、道らしきものがあるようだが、裸眼では先が見えない。再び、沢の方へと戻り、降り口を探そうとしていると、避難小屋にいた男性が登山道を教えて下さった。やはり、お堂の先の道らしきものが降り口であった。15分ほど時間をロスしたが、出発することができ、安堵した。この時期、空が明るくなるのは、6時半を過ぎなければならない。ヘッドランプで足元を確認しながら、慎重に下山する。登山道を塞ぐ倒木もあり、一難去ってまた一難。どうにか道に迷わず前進することができ、やっと山上ヶ岳の手前、急な岩の斜面を登るときには、すっかり明るくなっていた。暗闇でここを通過することは無理であった。山上ヶ岳から法力峠へ下山する計画であったが、宿坊の方へ降りてしまった。洞辻茶屋の分岐で、洞川へと降る。一本松茶屋で少し休憩し、女人結界門で一礼して、清浄大橋に到着したのだが、以前来たときとは、この辺の様相が一変していた。地道がアスファルトで舗装され、駐車場ができている。道路を歩いて行くと、役行者の母公堂に出くわす。この先、道路工事の為、登山者は迂回する道へと誘導される。ところが、迂回というより、しっかり上っていく登山道であった。道路をそのまま下って行くつもりであったので、再び登る心構えができていなかったので、五代松鍾乳洞へ続く道への分岐までが長く感じられた。五代松鍾乳洞を過ぎると、左右に分かれる道があり、右を選択した。その結果、ゴロゴロ水の場所に降り立ったのだが、後方離れて歩いていた塾生は、左を選択、分岐の左横に標識があり、左は洞川、右は、ゴロゴロ水と書かれていたということであった。左の方がソフトランディングであった。そこから先は、旅館街を通り抜けて、洞川温泉のバス停に到着、時刻表を見ていると、停車中のバスに運転手が乗り込んだので、われわれも乗車した。今回は、温泉に入らず帰宅することにした。
こうして、第4回山坂達者講座は無事終了した。道を求め、道を識る。机上だけでは、感得できないことがある。幾ら知識を得たところで、分かったつもりになるだけである。真理の探究は、自然の厳しさに身を置いてこそ実行し得ることを再確認した。
記録 塾長三木一之 写真・通過時間 塾生樋浦優人