令和5年度講座概要とまとめ 三木塾長
令和5年1月21日
貝原損軒と益軒が伝えた究極の人生
副題:如何に人生深く生きるか!永久不滅の慎思録に学ぶ。
慎思録の出典は、中国古典四書の中庸第11章中「博(ひろ)くこれを学び、審らかにこれを問い慎みてこれを思い、明らかにこれを弁じ、篤くこれを行う。」である。「時所位論」という、時と所と立場とを考えながら物事を判断し、調和を保ちながら前進する考え方があり、儒者中江藤樹、熊沢蕃山の思想の中核をなし、益軒もこれを重要視した。益軒は、当初、「柔斎」と号し、後に「損軒」そして、78歳以降「益軒」と改めたと言われる。易経の「山澤損」→「風雷益」である。益軒は、講ずる。「偏った心では読書は出来ない。」「多読多識は好まず、精読、熟達を旨とする。(朱子の教え)」「君子は、閑散であって、仕事がなくても、いつも安楽にできるのは、不遇である故に齎される幸せ。」実に深奥なる言葉であり、怠け者の幸せとは大きな隔たりがある。「人間の吉凶禍福などはすべて天命である。」と言う。
令和5年3月18日
「春風の弥生のもとに学びたる大和ごころに舎人を尋ぬ」
-日本書紀と向き合う-
日本書紀は、第40代天武天皇の指令により編纂が始められ、編集長は、天武天皇の皇子・舎人親王であり、実質的な編集の中心人物は、藤原不比等(鎌足の次男)である。律令国家、中央集権国家を形成するために作成され、天皇を中心とする大和朝廷による国家の統治を目論むものであり、天皇による支配の正当性を説明するための書物とも言われる。儒教の陰陽思想の影響を受けており、とりわけ「神代の巻」は、政治的な記述となっている。明治には、神武天皇即位の年を紀元元年とし、即位の日を紀元節、祝日とした。
令和5年4月15日
「西郷南洲翁遺訓」
-心で学ぶ至極の教え-
明治22年2月、大日本帝国憲法発布の特赦により、西郷南洲翁の賊の汚名は掃われ、贈位の恩典を受けた。これを機に、菅実秀(令和2年5月2日ホームページ公開講座第一講にて講義)は、赤沢経言、三矢藤太郎に命じて、西郷南洲翁に接した旧荘内藩士たちが翁の珠玉の言葉を記録したものを編集し、南洲翁遺訓として出版した。菅実秀が記した跋文(名文)には、「南洲翁や天性の英邁(極めて優れた才知)を備え、深く堯舜の道を辿り、克己を学問の柱として、誠に天命を敬した。寛大によく民衆を受け入れ、徳をもって人を愛し、君子に対する忠義を全うし、人に交わりて、人を信じ、敬をもって事に臨み、事あるときは義をもって処し、思慮が奥深く、その規模たるや遠大である。(筆者訳)」と天下第一等の人物を顕かにした。正に、「敬天愛人」を貫いた人である。
命一つの使い道生きて活かすも死して活かすも生き切ったるが人の道
令和5年6月17日
稀代の思想家、活動家大川周明を読み解く
人は学んで初めて己の無学を知る
何故「大川周明」に学ぶのか?明治19年12月6日生~昭和32年12月24日没。日本が思想・文化、精神・物質において、大きく変化した時代、数多くの問題・失敗が凝縮されている。
成功からは、感動を得られる。失敗からは、学びと気付きを得られる。問題・失敗は、学びの宝庫である!大川周明は、その問題を指摘し、自らもその活動において、身をもって失敗している。小さな失敗は体験すべし!立ち直ることが困難な大きな失敗は、先人に学ぶべし!
いくら日本精神を説いたところで、世の中教科書通りには行かない。現実、日本一国だけで全世界が成り立っている訳ではない。日本が日本であるためには、この近現代の激動の時代の申し子に学ぶ必要がある。
その人物像は、天才にして奇才。博学にして情熱家。素にして賑いあり。堅にして笑あり。弧にして憂あり。多面的な人。至醇の人。実に、興味の尽きない人物である。
まとめ
【七年目の活動】
本年は、5月休講、8月清流に学ぶ野外講座、9月木曾駒が岳山坂達者講座、10月仁平作品展を行い、そして、8回の座学を実践した。
8月は、昨年に引き続き、銚子川を探索し、自然の妙味に学んだ。9月は、当塾が重視している「偉大なるお山」に触れ、感性を磨き、座学だけでは得られない実践躬行の学びを体得した。10月は、私が当塾で学んだ七年間の集活として、墨書を制作し、これをギャラリーにて展示した。
振り返って、新型コロナウイルス過の影響もあったが、塾としても、成長したと言える。しかしながら、その成果は、充分なものと言えず、「松下村塾や適塾」に匹敵した塾であるという憶いとの隔たりは如何ともし難く、唇を嚙むあまり流血を見る有様である。創立の趣旨書に込めた憶いは、未だ全く色褪せていないが、当塾の発展には、若い熱き血潮を必要とする。
当塾は、先哲に学んでおり、処世術を身に付けるためではなく、また、時代小説の読書に遊ぶものではない。孔子のいう君子の学「君子の学は通ずるが為に非ず。窮するもくるしまず、憂うるも意の衰えず、禍福終始を知って心の惑わざるが為なり。(荀子・宥坐篇)」、それすなわち、塾の理念である「ぶれない人間をつくる」ことである。
この学問は、一夜にして修得できるものではなく、多年を要し、その成果が地表に顕れるためには、更に年月を費やさなければならない。しかしながら、一旦地表に顕れると、恰もマグマが噴き出す如く、大量のエネルギーによって、新山を形成する。AIの時代へと突入する現代において、先哲の時代は古いが、先哲は、新しい若い時代を生き、老いてなお進化し続けた。
先哲に憶いを馳せてなお遠くその足跡を生きる悦び 塾長 三木一之