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活動の紹介

研修

令和7年夏季合宿(8月16日~8月17日)

令和7年、去稚敬天塾の夏季合宿は、原爆の被災地、広島へと訪れた。
それぞれが広島の地で感じ、学んだことを、記録して記載する。

見学地:江田島第1術科学校、広島平和記念資料館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館、原爆ドーム、広島護国神社、真鍋島、白石島
参加者:三木塾長、吉川事務局長、樋浦塾生、浦山塾生

(行程)
【1日目】
新大阪      広島駅    広島港宇品   江田島小用港   第1術科学校前
7:50 ⇒ 9:10 9:21 ⇒ 9:55 10:14 ⇒ 10:36 10:43 ⇒ 10:48
(見学)・第1術科学校 11:15~12:45

第1術科学校前  江田島小用港    広島港宇品   中電前
13:18 ⇒    13:24  13:34 ⇒ 13:54 14:09 ⇒ 14:35

(見学)・広島平和記念資料館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 原爆ドーム 広島護国神社 

・広島から宿泊先の大門へ移動(宿泊:HOTEL R9 The Yard 福山)

【2日目】
宿泊先 大門駅  笠岡駅  笠岡港  真鍋島(本浦)
6:15 ⇒ 6:25 ⇒ 6:41 ⇒ 7:25 ⇒ 8:09 
・島猫と写真撮影 旧真鍋中学校 圓福寺 真鍋城跡

真鍋島(本浦) 白石島
12:35 ⇒    13:05 
・海水浴

白石島  笠岡港   笠岡駅    岡山駅    新大阪
15:40 ⇒ 16:17 ⇒ 16:36 ⇒ 17:30 18:09 ⇒ 19:25

[三木塾長]
初日、広島江田島の海上自衛隊第1術科学校(旧海軍兵学校)を視察した。その目的は、特攻隊の血書を含む遺書と向き合うことである。四半世紀前に、一度訪れているが、団体に参加したこともあって、充分な時間を当てることができなかった。記憶が定かではないが、以前より、掲示されている箇所が大きく明るくなっているように思えた。鹿児島の知覧もそうであるが、あまり観光化されると、英霊の魂から遠ざかる気がする。
日本人にとって、靖国神社、江田島、知覧、万世飛行場(陸軍最後の特攻基地)は、英霊の魂が宿る特別の場所である。今の平和があるのは、英霊の魂のお蔭。若き隊員は、生きたかっただろうに。恋をして、友人と遊び、家族の愛に包まれて、今の私たちと同じように生きたかったはず。それが叶わぬ時代、純粋に日の丸を背負って、愛する家族の為、国を存続させる為、「生き死に」の葛藤の中で、命を賭して闘い、その肉体が海に散って逝った。そして、その魂が今も神聖なる場所に靖らかに眠っている。
英霊の眠りを歪んだ心から発する言動で騒ぎ立て、妨げてはならない。ましてや、何処の国であろうと、つまらぬ政治の道具によって、一切雑音を立ててはならない。この人間社会は、あまりにも、堕落してしまっている。人として、大切なことを捨て去り、踏みにじり、人間が作ったものに支配され、近い将来、生成AIに征服される日が来るに違いない。歴史上最も過酷な時代を担った崇高なる魂の尊厳を汚すことは、天に向かって、唾を吐くことであり、自分自身に唾が掛かることは当然である。そのような卑しき者は、この世に存在してはならない。しかしながら、卑しいが故に、支配者となって、君臨するのが世の常である。賢人の声は、届かない。
特殊潜航艇の海竜や回天を視るにつけ、その使命を発揮できずに、命を落とした隊員のことを憶うと胸が締め付けられる。
私は、30年早く生まれていたら、特攻隊に志願していた。
それを憶うと、私にできることは、英霊への感謝と、この国の無事を次世代に繋ぐこと。歴史秩序を乱すことではない。
これは、全世界の人々に言えることであり、そのためには、傑王や紂王のような愚かな権力者を現出する環境をつくらないことが不可欠である。

第1術科学校の視察後、広島平和記念資料館にて、見学を終えた。狭く暗い館内は、異様なほど混雑していた。

二日目は、岡山県真鍋島で、猫と触れ合い、白石島に立ち寄り、遊泳を愉しんだ。
白石島の海水浴場での危険な行為について、遊泳区域内にウインドサーフィンが侵入して来た。おそらく、操作ミス、技量不足が原因であろう。風向きによって、海面を猛スピードで走る可能性があり、遊泳中の人に衝突すると、死亡事故に繋がりかねない極めて危険な行為であり、過失では済まされない。この海水浴場には、監視体制やライフセーバーが見当たらず、このような危険な行為に対して警告する術はなさそうだ。幸い、事故は起きなかったが、ウインドサーフィンの本人は、どう思っているのだろうか。娯楽が一転、取り返しのつかない大事故を起こすことになる。
尚、真鍋島の詳細は、情報サイトnote「三木仁平」投稿の記事「本当に存在する夢の楽園!猫の真鍋島」(https://note.com/mikijinpei/n/n6b8963d8d4e3)をお読みください。

【「精神と肉体」古代ローマ詩人の名言を考える。】
健全な精神は健全な肉体に宿る。と言うが、
健全な肉体に必ず健全な精神が宿る。
とは限らない。身体を鍛えるだけならば、肉の塊に過ぎない。
精神を鍛え、心を磨いて初めて、人間の肉体となる。
実践躬行の学問はその手段。
知識はその道具。
(写真は、第1術科学校・五省・原爆ドーム・白石島海水浴場)



  

[吉川事務局長]
2日間とも乗船する行程を組んいたため天候、特に風波が気になっていたが両日とも天気に恵まれ、瀬戸内海の穏やかな海を白い航跡を残して島を巡ることが出来た。
                  
[1日目]
1か所目は、江田島にある戦前の軍、戦後の自衛隊の教育施設を訪れた。江田島の海上自衛隊第一術科学校は、現在海上自衛隊の幹部候補生の教育施設であるが、戦前は海軍兵学校として海軍の将校を養成する施設であった。この敷地内の教育参考館に戦前から戦後を通しての資料が展示されている。
前大戦で組織された特別攻撃隊は、航空機、小型舟艇、潜水艇で敵の艦船へ体当たりしダメージを与えることが目的である。隊員は殆どが未婚の若い青年達で1年間ほどの教育(特攻用)を受けた後、敵艦船を目掛けて向かっていった。この青年達の「辞世の句」となる手紙が展示されており、家族への言葉や勇ましい言葉に向かい合うと自ずと胸が熱くなる。また、外地の戦場で亡くなった人を連想し、その人達も家族を想い、家族を守る為に戦地へ赴き戦っている。敗戦となったがこの人達の「精神」がその後の日本を守っていることを忘れてはならない。見学者の殆どが40~50歳以上だったのでもっと多くの若者達がこれらに触れて感じて欲しい。

2か所目は広島記念公園内の広島平和記念資料館、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館とこれらに近接する原爆ドームと広島護国神社を訪れた。
広島平和記念資料館は、予想をしていたが多くの見学者が来館しており落ち着いて見ることが出来ないのが残念であった。展示は原爆の投下により被爆した人達が受けた様々な視点から行われており、人は何を犯したのかを認識させる内容であった。来館者には単に悲惨な出来事があったという知識だけでなく、戦争とは何か、だれがこれを何の目的で起こし何が残り何が残らなかったのかを考えて欲しい。また、現実はこれを振りかざし大手を振っている国があることを考えて欲しい。答えはないがまずそこから考えて欲しい。
資料館に隣接している国立広島原爆死没者追討平和祈念館は原子爆弾を起因とする死没者を銘記し平和を祈念する目的で創られている。その人数は増え続けており原爆を直接受けて亡くなった人も含め人数の確定は出来ていない。

[2日目]
瀬戸内海に点在する島々のなかで、真鍋島と白石島を訪れた。
真鍋島に島の猫達がいると聞きこの猫達に触れ合いたいと思いこの島を訪れることにした。この島の猫達は、他で見た保護猫の猫達と一線を画す猫達であった。島では観光客は猫達に食べ物を与えてはいけない決まりとなっており、これが猫達の人との接し方の元になり、島猫の文化になっていると私は感じた。猫好きの人に限らず是非この島を訪れてこれを感じてほしい。

真鍋島は映画「瀬戸内少年野球団」のロケ地で、今は廃校となった旧真鍋中学校を訪れた。港から高台の方へ細い路地を歩き途中の十字路の右方向の港が見える場所に、弘法大師ゆかりのお寺があり、左方向に、旧真鍋中学校がある。学校の片隅から眺める木造校舎や、グラウンドの鉄棒、ブランコ、雲梯、登り棒、そして蝉の声や、グラウンドを吹く風を感じ、半世紀以上前の小学時代の風景が目に浮かんできた。
その後、真鍋城跡と城山展望台へ行く予定であったが、城山展望台への道は雑草が茂りほぼ閉ざされていたので真鍋城跡で引き返すこととなった。
真鍋島で海水浴をする予定であったが、現地にはそのような案内も無いので急遽予定を変更し、白石島へ戻り海水浴を行うことにした。白石島海水浴場は遊泳水域が広く水も綺麗で波も静かであったので海水浴を十分楽しめた。
この後、本州へ戻り在来線で岡山駅まで行き、新幹線に乗り換え新大阪へ無事に到着した。
今年も、皆さまの協力により充実した合宿となりました。

※広島の平和記念公園で三木塾長の友人と合流し、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館、原爆ドーム、広島護国神社の案内を行って頂きました。

[浦山塾生]
昨年、地元で出会った戦後の展示会を偶然知り足を運ぶ機会があった。

空襲、原子爆弾投下後の街や被害を受けた人々の写真や絵、特攻隊の手紙が一部展示されておりました。
拝見した時に子供の頃に感じた記憶以上に悲痛で残酷なものであり、その場で涙が止まりませんでした。

元気なうちに広島へ足を運びたいと言う気持ちがその展示会を通じて感じてました。

今回、原爆ドーム、平和記念公園資料館、平和記念公園、海軍兵学校へ足を運べる機会を戦後80年と言う大きな節目の時に行ける話を頂けると思ってませんでした。
塾で研修の話を頂いた際に絶対に行きたいと思いました。
自分の行くタイミングは、今だと自分の直感を信じて行く事を決めました。

行った現地で心が一番動かされた場所は、海軍兵学校です。
建物の西洋な様式、活躍した卒業生の兵士達の偉業も展示されており、七月の講座で学んだ山本五十六の所は特に見入ってしまった。
私が中でも感銘したのは血書、遺書を数々です。
書いている特攻隊の年齢が私より若い方ばかりなのに書いている特攻隊の言葉が潔くて力強かったことです。
この塾で良く話題になる「生き切る」って言う言葉が一番相応しいなと思います。
こんなにも心を動かせる文章に出会う事って人生で無いと思えるくらいです。

平和記念公園資料館に展示されていた原爆を受けた弁当、服、三輪車など被爆を受けた人の写真と共に構図されており、命の儚さを感じ近くで拝観していた祖母くらいの老人が泣いていたのを目撃してした。
もしかしたらこの人のご家族も被爆者、この人も被爆を経験していたのか思うと凄く胸が苦しくなりました。
資料館は、照明の部分を考慮すると戦争を知らない人が見ても分かりやすく原爆や戦争を学べる構図になっており壁に記載されてる文章を見ながら進むと面白かったです。

平和公園にある原爆ドーム•原爆死没者慰霊碑•国立広島原爆死没者追悼平和祈念館の目の前にすると死没者が来世の人達へこれからも平和にこの地を生きて欲しいって願っている力を感じた。
広島護國神社も平和の神様が祀られてると後から調べて分かり、
観光した地で自分が生きてる世界が誘惑や甘えが多く、平和であると改めて気づかされた1日目だった。

2日目の真鍋島は、瀬戸内少年野球団の観光地ということで映画を観た際、戦後の話と言うこともあり戦争関連が記載している教科書に墨入れをしたりしているシーンが印象的でした。
実際の撮影地へ脚を運べて嬉しかったです。

今も残ってる二宮金次郎の像、街並みがどこか懐かしく本島では感じれない体験が出来た。
また観光地へ向かう道中の山道の険しさが現代人過ぎた自分には、険しく感じ、早々に向かう皆様に終始圧倒されている。
最後に行った白石島の海水浴で楽しんでる皆様を見ていて自然から沢山のことを学んでいるからこその個々に違う生き様を感じた。

海風、漣を感じ砂浜を歩きながら研修を振り返っていた。
日本の受けた残虐な行為の数々、それを理解している現代を生きる日本人って一握りだと思う。

今回の研修で見た景色からどんな困難があっても人間は、その場で自問自答して進んで行ける力を持っていることを再認識した。
研修で見た日本が受けた現実を受け止め、私は今を生きてることに感謝を絶対に忘れないと心に誓った。

壁にぶち当たった時こそ
環境・人の温かさや自然に触れること
今日という平和な1日に感謝を忘れないこと
そこから分かる優しい感情を大切に生きたいです。

余談
塾の皆様が圧倒的な体力の凄さを持っている事を再認識しました。
自分の体力の無さを感じたのはここだけの話です。

[樋浦塾生]
広島の地、そこは、日本人として絶対に忘れてはならない悲惨な出来事があった地である。
1つの爆弾により、広島の地は地獄絵図となった。戦争の最中ではあるが、生きる気力に溢れていた人たちの命を一瞬で奪い去った。こんなことは決して許されることではないただの非人道的な大虐殺だ。どんな理由があろうと、戦争中であろうと、人の道を外れた行為である。この悲惨な歴史を繰り返さないために、今一度、私自身の胸に留めるべく、今回の夏季合宿では、1泊2日で広島を訪れた。

~広島の地~
私は広島に行くのがはじめてだったが、とても活気にあふれた土地に感じた。大阪ではあまり使われていない路面電車が、今でもたくさんのお客さんを乗せて走っていたのは印象的だ。原爆の被害から復興して今の平和な広島があると思うと、思わず人の逞しさを実感する。

~海上自衛隊第1術科学校~
1日目は朝一番に海上自衛隊第1術科学校の見学に訪れた。
学校はとても自然あふれる良い環境にどーんと広がっていた。だが実は、学生たちが遊ばないように、都会ではなく、辺鄙な場所に移されたらしい。
遊び盛りの人たちなので、そのように対策されるのが理にかなっているとは思うが、時には息抜きも必要なのではないかと思う。しかし、何もないからこそ、学生たちは自ら息抜きをする手段を考えるのだろう。そういう点では、海の上では何もないので、ここで考える機会を作るというこれもある種の勉強である。兵学校には立派な建物が多く建造されていて、幹部候補生学校、大講堂、教育参考館、どれもこれも、ヨーロッパのギリシャを思い浮かべるような圧巻の作りになっていた。
この日はとても暑く、見学で外を歩いているだけで倒れそうになるくらい、「溶けそう」という表現がピッタリなほどの猛烈な暑さだった。そんな中で訓練をしているのだ。尋常ではない精神力や体力が必要になるだろう。海で泳げば少しは暑さもマシになるかと思うだろうが、海での訓練は、15kmもの距離を泳ぐそうだ。水泳の経験がある人であれば、15kmを泳ぐ過酷さが理解できるであろう。今も昔も、国を守る為に、日夜訓練を行い、いつでも戦える準備をしている人たちがいる。私はその人たちを尊敬し、自らも、もしもの状況に備えて鍛えておく必要があると、再認識した。
兵学校の見学の中でも最も鮮明に記憶に残ったのは、特攻で亡くなられた方々の遺書である。20代前後の人たちが遺書を書くような状況は、異常なことである。もっと生きたかった、そう思うのは当然である。遺書に思いの丈を綴りたいと思っても、国はそれを許さない。思うがままに書いた人の遺書は、家族に届くことはなかった。全部を読めたわけではないが、見ているだけで思わず涙が溢れてくる。
特攻隊は家族を守る為、日本を守る為、決死の覚悟で敵にぶつかっていったのだ。もし私がその時に生まれていたのであれば、大切な人を守る為、同じように敵につっこんでいっただろう。
今の平和な世の中は、命を燃やして戦ってくれた人の上に成り立っている。それを、日本人として決して忘れてはならず、英霊に対しての感謝を忘れてはいけない。そう強く思った。
最後に海兵学校で案内してくれたみなさんが猛烈に推していた海兵学校のカレーをまんまと買って帰った。食べたところ絶妙な辛さでとても美味しかった。学生や海兵にとってはこのカレーがひと時の心の癒しになっているのだと感じた。

~広島平和記念公園~
学校見学の後は、広島平和記念公園へと足を運んだ。
まずは記念資料館に行ったのだが、人、特に外国人で溢れかえっていた。こんなに人が来ることを当初は想定していなかったのか、館内は非常に歩きづらく、ゆっくり見て周ることができるようなものではなかった。また、外国人はワイワイと陽気にみていたが、ワイワイと見て周るようなものではない。時代に合わせて建物の構造やルールを変更していく必要があるのではないかと思った。小、中学生の時に、原爆について学ぶ機会は多くあったので、記念館の資料はあまり目新しくは感じなかったが、原爆というものが与えた甚大な被害や人々の苦痛は痛いほど伝わった。
その後の原爆ドームで、原爆が実際どれほどの衝撃だったのかを思い知った。爆弾の衝撃を受けても建物が立っていたことは凄いことだが、飛んできたがれきが当たったらひとたまりもない。
これを見たら、あんなもの使ってはいけない、と思うのが当然のことだと思うのだが、そう思わない人がいるのも事実である。なぜ、そう思わない人がいるのか、甚だ疑問でならないが、だから戦争が起きるのだと思った。

~真鍋島~
2日目は猫がいる島で有名な真鍋島へ向かった。到着するとたくさんのねこちゃんが迎えいれてくれた。日陰を探して暑さを耐え凌ぎ、バッタを食べて生きている。今の環境に1つの不満も言わず、ただ懸命に生きている姿を見て、人間は贅沢すぎる、猫を見習わなければならない、と感じた。
その後は、白石島に行き遊泳を楽しんだ。水島に比べると綺麗さは劣るが、ちゃんと泳げる場所があるだけでもうれしいことだ。2日間炎天下を歩き続けていたので、良いリフレッシュになった。

人の欲には限りがない。ほんの小さな幸せだけでも、十分に豊かな人生を送ることができる。平和な日常に慣れてしまって、当たり前のことに感謝を忘れ、自分勝手に生きている人が今の世の中には多い。これからも私は日々、平和な日本で生きていられることに感謝を忘れず、自然を通して有難さや不自由さを感じ、日常が如何に幸せであるかを実感しながら、精進していく。

 

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